【才木海翔選手】大阪経済大学からオリックスバファローズへ

インタビュー

第一印象は「良い目をしている」だった。

ドラフト候補の大学生。
才木選手の情報はそれしか知らなかった。私は高校野球専門家なので、それ以外の野球には疎く、今回のインタビューも、高校野球のコーチをしている友人が「同期がコーチしてる大阪経済大学に、多分今年のドラフトかかりそうなええピッチャーおるから取材行ってこいや」と勧めてくれたのだった。

大阪経済大学の平川コーチと連絡を取り、取材日程を決めながら、才木選手のピッチング動画を見てみた。
球がとても重い。まるでボウリングの球みたいな野球ボールを投げていて驚いた。

取材前は色々不安だった

だからこそ、会う前は怯え倒していた。
オラオラで自信満々な若者だったら怖い。
親子といってもおかしくないほど年下だけれど、もしそんな人だった場合、根っから後輩キャラの私はどう振る舞えばいいのだろう。

その場合はひたすら太鼓持ちに徹する覚悟で取材に臨むことにした。
17歳も年下の相手にへりくだりながら見当違いの質問ばかり繰り返し、そんな私を見下されているのをなんとなく感じながら数時間を過ごし、我が身のあまりの情けなさに、帰って枕を濡らすことになるのだろうと前日から憂鬱だった。

私の取材は、とにかく毎回すっとこどっこいのとんちんかん。
今までは相手がきちんとした大人ばかりだったから(スケボー少年エマ君のときも、メインでお話を伺ったのはお父さんでした)、皆さん私のどんな暴投もしっかり受け止めてくださって、なんとか会話が成り立ってきたに過ぎない。

しかし今回は22歳の大学生。しかもドラフト候補の投手。ボールのコントロールはできても、過剰な自意識はコントロールできない未熟な若造に決まっている。
そんな相手とこんな私で、一体どんな話の展開になるのか想像もつかず、平川コーチに同席して頂けるのが唯一の救いだった。

事前に平川コーチにも上記の不安を再三訴えたが「あはは。全然大丈夫ですよ。才木は今時の若い子感は全く無いので、安心してください。あいつの中身は昭和ですから」と言われていたが、そんなおためごかしは耳に入ってこなかった。

ドラフト前日に取材させて頂いた

プロに入れるかはわからないものの、ドラフト後は予定がどうなるか分からないからということで、ドラフト前日の昼時に、平川コーチと3人で焼肉ランチをしながら取材させて頂くことになった。

時間ぴったりにお店に到着した私は、別の意味で早速我が身を恥じることになった。
平川コーチは10分前に、才木選手は20分前にはそれぞれお店に着いており、取材させて頂く立場の私がトリで登場してしまったのだ。
紅白の小林幸子ぐらいインパクトがあればまだ許せるが、少し頭にターバンを巻いてる程度の私がのこのこ最後に現れるという大失態。

焼肉屋の前で待っていてくださった平川コーチに案内された奥の個室の扉が開いた瞬間、才木海翔選手はサッと立ち上がり、私たちは互いに深々と頭を下げて挨拶を交わした。

内心とても怯えていた私だが、親ほど年上なのだから、ここはひとつ悠然としていなければと思いつつ、いつものクセでめっちゃペコペコしてしまった。

そんな私に、才木選手こそ悠然と微笑みながら丁寧な挨拶をしてくれた。
上からでも下からでもなく、無名のライターをバカにする様子も全くなく、とにかくとても良い目をしていて、それが全てを物語っていた。

私は知性がない代わりに、なぜか感覚は鋭敏だ。昔から人を見抜く力にだけは自信がある。彼の目の奥を見たときに「あ、この子ほんまにええ子や」とわかりホッとした。
尚、私はこの特異能力により、自分が本物のすっとこどっこいであることも自ら見抜いている。

平川コーチも私と同い年とは思えないほどしっかりした人で、途端に気が楽になり、焼肉を食べながら少しずつ話を進めていった。

才木選手がいる大阪経済大学は、関西六大学リーグ、通称「関六」に所属しており、同じ関六の神戸学院大学中退の経歴を持つ私は、まず場を温めるために「私も関六やったんですよ!一緒ですね!」とサブいノリをやらかした。
そんなくだらない話題にも才木選手は「あ、そうなんですか!?神戸学院やったんすね!」とニコニコ食い付いてくれ、コミュ力の高さが伺えた。

「滝川の近藤さんといい、関六に縁がありますね!」とコーチもフォローに入ってくださり、御二方の優しさで、場を温めることには無事成功した。

「私たちの頃の関六といえば、現オリックスの平野君がいましたよね」「平野はほんまにすごかったですよね」と同世代の平川コーチと盛り上がっていたら、才木選手が「平野さんって、大学時代からそんなにすごかったんですか?」と聞いてきた。

メジャーでも活躍したオリックスの平野佳寿選手といえば、私たちの世代では実力、実績共に別格で、当時から大学ナンバーワン右腕の呼び声高かったほどの大選手だ。

平川コーチはそれを知っていながら顔色ひとつ変えず「ま、今の才木ぐらいちゃうか」と言いながら才木選手の肩をポンポンと叩いた。

才木選手は、素晴らしいコーチに恵まれているなと、その光景を見ながら2人の関係性がとても羨ましく、そして微笑ましかった。

普段の取材では会話を録音させて頂いているのだが、こんなお食事会の席で録音するのは無粋な気がしたのでしなかった。メモさえも取らなかった。
その代わり、五感でしっかり感じようと意識しながらお話しさせてもらった。

野球をはじめたきっかけ

才木選手は大阪府豊中市出身だと事前に調べていたので、「豊中のどの辺ですか?」と聞くと「庄内です」と返ってきたので「あら、めっちゃええとこですやんか」と言うと才木選手は少し笑い「確かにええとこなんですけど、僕の地元はわりと昔ながらの下町です」
これにより神戸というええとこの下町育ちの私は、一気に親近感を覚えた。

野球を始めたきっかけは、小さい頃からよく遊んでもらっていた近所の3つ上のお兄ちゃんが小3で野球を始めてから急に遊んでくれなくなり「なんで最近遊ばれへんの?」と聞いたら「野球やってんねん!お前もやったら?」と言われたことだった。

「野球かぁ」と思いながら数年悩んでいたが、小学校3年生の時から野球を始めた。

豊中第六中学では、準硬式野球部に所属。
学校の部活としてやっていたが、週に1度だけ同級生である藤原恭大選手や小園海斗選手らと一緒に、藤原選手のお父さんが借りてくれた球場で枚方ボーイズの面々と一緒に練習していた。

北海道栄高校で過酷な寮生活

そしてたまたま中学の試合を見に来ていた北海道栄高校の監督に声を掛けられ、高校は北海道栄に進学した。準硬式と硬式ではボールの重さも素材も全然別物だが、才木選手は「わりとすぐ慣れた」という。

苫小牧の近くの白老町という所の信じられないほど山奥にある学校で、寮生活は過酷だった。
5台ある洗濯機の内、1台は故障していて、1年生は夜中の2時頃まで4台の洗濯機をフル稼働して100人分の洗濯をし、シャワーもたった2台を100人で順番に使い、一応浴槽もあったが、1年生が入る頃にはお湯は真っ黒になっていた。

そして朝は6時に点呼がある。
寒い北海道では部屋より洗濯室の方が暖かいので、そこで朝まで寝ることもあった。

最寄りのコンビニまでは徒歩30分。
夜9時の点呼後にこっそりコンビニに行くのもひと苦労だったが、その苦労を惜しむ者は誰もいなかった。本当にそれぐらいしか娯楽がなかったのだ。

そんな寮生活に嫌気が差して逃亡する者もちらほらいたという。夜の点呼のときには存在した人間が翌朝には消えていなくなっていた。「荷物まとめてる気配でなんとなくわかるんすけどね」と淡々と語る。

「才木君は、辞めたいと思ったことはなかったの?」と聞くと「自分には野球しか無いんで、辞めたいとは思わなかったですね。それに自分は高校でやっと人間になって、中学までは人間じゃなかったので、高校の監督さんへの感謝もありましたし」

ここで平川コーチが「多分、人間になったっていうのは敬語とか挨拶がしっかりできるようになったって意味ですね」とすかさずフォローに入ってくださったが、その言葉の意図は奇跡的に正確に私に伝わっていた。

北海道の高校野球事情

北海道で高校野球を経験した人と話すのは初めてだったので「北海道ってめっちゃ広いやん?試合のときの移動とかってどうしてんの?もしかして飛行機移動?」と聞くと「そうですね、公式戦のときは飛行機で、2〜3日前には現地入りしてました」

我が兵庫県もいささか広いので、南部の学校が豊岡で試合をするときなどは前日から泊まりで行くのが通例だが、2〜3日前から入るなんて聞いたことがない。カルチャーショックだった。

「練習試合のときとかはどうしてたの?」と聞くと「北海道は南側に学校が集中してるので、大体は近くの南北海道の学校とやってましたけど、北北海道のクラークや旭川実業とやる時はバスで5時間とか掛けて行ってました」
ずっと不思議に思っていた雄大な大地が広がる北海道の高校野球事情を、とても興味深く聞かせて頂いた。

才木選手の高校時代の成績は全道ベスト4。
高校時代から北海道では名の知れた本格派右腕だったそうだ。
でもプロ志望届けは出さず、高校の監督のツテでセレクションを受けて大阪経済大学に進学。

大学に入って球速がさらに伸びた

誰もが通る道なのだが、高校の厳しい練習を耐え抜いて大学生になると、みんな最初は自由になった開放感から遊び呆けてしまう。才木選手も大学2年までは遊んでいた。
主に地元の友人たちと大好きな車をイジったりラジコンをして遊んでいた。
それでも、野球部の練習に遅刻したことは1度も無いという。

身体作りもしっかりやっていて、毎食お米を4合食べて体重を高校時代から20kg増やした。毎日4合ではない、毎食、だ。どうすればお米を1度にそんなに食べられるのか不思議だったので聞いてみると「オムライスとかなら無限に食べれますよ、あとカレーとか」と教えてくれた。
お母さんが作るオムライスが大好物だという才木選手のお母さんはなんと42歳。私と3つしか変わらないではないか。ということはおそらくお母さんは松坂世代だ。

お米を1日1升以上食べ続けて体重を増やしたことで、高校時代はMAX145kmだった球速が大学ではMAX153kmまでアップした。
ぐんぐん球速が伸びてきた成果は3年生から頭角を表し始める。
3年秋にはリーグの最優秀防御率賞を受賞し、4年春にはベストナインにも選ばれた。

理解力に乏しい私は、そう聞いても「なぜ体重が増えたら球速が伸びるのか」がわからず説明を求めると「ボールに重さが伝わると速くなる。重力を利用するので体重を増やして、投げる際にうまくボールに伝えれると速くなります」と答えてくれたのは平川コーチだった。

才木選手は自他共に認める感覚派ピッチャーで、この話題においても才木選手は理論よりも「自分としては身体の重心の位置にいつも気を付けています。車の運転中も身体の軸が右に寄りすぎていると気付いたら、すぐに左に変えたりしています」と感覚的な話で応答してくれた。

才木選手は感覚派ピッチャー

そこから感覚派トークになり、才木選手が「朝起きた瞬間に、なんか今日あかんなって思ったらその日はもう何やってもダメです」と言った言葉で私は非常に重要なことに気付くことができた。私はライターであるにも関わらず完全に感覚派だという不都合な真実に。

ただ、才木選手がすごいのは、感覚でちゃんと色々理解できている点だ。
言語化はできないことも、イメージで掴めるタイプなのだ。

グランド整備ひとつとっても、みんなテキトーにザーッとトンボがけをするけれど、才木選手は違う。まず四角い大枠を作ってから、それに沿ってならしていく。私は大いに共感した。これを聞いて自分もそういうタイプだと思う人は、まず感覚派だと思って間違いない。

そんな感覚派中の感覚派である才木選手は、音楽の趣味が渋い。
杉山清貴や安全地帯、チェッカーズを好んで聴いているという。
私もチェッカーズにはちょっとうるさいので「どの曲が1番好きですか?」と興奮気味に尋ねると「Song For U.S.Aです」と即答され、嬉しさのあまり涙目になったのは、私と同じだったからだ。あの曲には感覚派の琴線に触れる何かがあるのだろう。

ご両親の影響にしては古いこれらのミュージシャンを好きなのは、旧車好きの地元の友人の影響だそう。

小さい頃から車やバイクが大好きで、なんだったら野球より断然好きだという。
「野球はそんなに好きでは無いけど、昔から人よりちょっと上手かったから、せっかくなので続けてきました」

野球好き度では確実に才木選手より私の方が好きだが、野球上手い度では天地ほどの差がある。さらに言うと私は文章を書くのが好きというだけでライターをしているが、書く事が好きじゃなくても上手な人には敵わないこともよく理解でき、その瞬間、私は悟りを開いた。

ドラフト前日の才木選手の様子

ドラフト前日の才木選手の様子はとてもリラックスしているように見えたが、内心すごく緊張していたと思う。
事前に平川コーチから「プロ1本の意気込みなので、ドラフトにかからなかった場合の進路は未定です」と聞いていたし、プロの入り口がいかに狭いかは私もよく知っている。

才木選手はものすごく良いものを持っているしポテンシャルも抜群だ。
だからといって確実に入れるほどプロの世界は甘くない。

数時間、楽しくお話をさせて頂き、平川コーチには「才木は興味の有る無しがはっきりしてるので、飽きてきたら露骨に退屈そうにすると思いますが、その場合は気にせず2人で話しておきましょう」と言われていたけれど、才木選手は最後まで楽しそうに饒舌に話してくれた。でもそれは私と話すのが楽しかったからというよりも「退屈そうにしたら傷付きそうな人やな」と配慮してくれたような気がしてならない。感覚派の才木選手は、私の繊細さを見抜いてくれたんだと思う。

お店を出てから、才木選手は愛車を見せてくれた。意外にも愛車はスズキのエブリイで、それを面白おかしく自分でカスタムしていた。

ラジコンも大好きで、大学の野球部を引退するときに、後輩たちが4年生に毎年リクエスト制のプレゼントをする行事で、他の同級生がipodsなど今時アイテムをリクエストする中、才木選手はラジコンをリクエストし、2台ももらったと大喜びしていた。

「このラジコンのカスタムもせなあかんので忙しいんすよ」とドラフト前日の感覚派投手は笑顔を見せた。

取材の中でドラフトの話はほとんどしなかったけど、別れ際に「明日、がんばってね!」と言うと「朝から1日中会見場で顔作っとかなあかんから大変す。顔作るんが1番しんどいっす」と良い笑顔で話してくれた。

運命のドラフト当日

翌日のドラフトは、私も気が気ではなかった。万が一かからなかったとしても記事にすることは決めていたが、あんな良い子の夢がどうか叶いますようにの一心だった。

結局、支配下での指名は無かったが、育成では確実にかかるだろうと思いながら見守っていた。

「オリックス 育成2位 才木海翔(大阪経済大学)」の文字を見た瞬間、涙があふれて止まらなかった。もしかしたら才木選手のお母さん以上に泣いていたかもしれない。

その後、才木選手のコメントが出ている記事を見ると「死ぬ気で這い上がる」とあった。
本気の言葉であることが伝わり、また涙があふれてきて大変だった。

感覚派の才木選手は、プロでも良いコーチや先輩に恵まれたら、きっともっともっと伸びていく選手だ。オリックスならそれが叶いそうなので、とてもホッとした。

プロの世界でもがんばってください!

才木選手へのはなむけの言葉はこれ以外考えられないと思っているのが以下だ。

「見えないもの信じられた ティーンネイジのまま 約束だよ 大人になってくれ」

チェッカーズのSong For U.S.Aの歌詞の一節である。
これからプロの世界で、楽しいことも沢山あれば、同じぐらい色んな壁にぶち当たることもあると思う。でも感覚派の人間が最後に信じるべきものは自分の感覚だ。
今のまま、妙に大人びている反面、あふれ返っている子供心も忘れずに、多くの人に愛されるプロ野球選手になってください。

オリックス  育成2位  才木海翔(大阪経済大学)

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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