【橿原磯城リトルシニア・松本彰太監督】

インタビュー

野球界というのは特殊な世界だ。
とりわけ高校野球は、高校生の一部活動の大会が春も夏も全国中継され、それを多くの国民が楽しみにしているという、冷静に考えると不思議な文化がこの国にはある。

「なぜ野球だけ特別扱いなのか」
よく聞かれる疑問である。

ただ、野球界は決してそこにあぐらをかいていないことを知ってほしい。

学生野球の指導者たちが人生を賭して取り組んでいるのは、野球の指導と同時に人間教育だ。
大半の高校球児はプロ野球選手ではなく一般の社会人になる。
そのときに社会で役立つ人間を作ることこそが、学生野球の本懐である。

インターネットの普及により情報の透明性と可視化が進んだこの20年で、指導者の感覚も大きくアップデートされている。

そこに頼もしく現れはじめているのが、ネット社会の時代に育った若手の指導者だ。

アップデートとは最新の状態に更新することだが、野球界の場合、やり方を刷新するのではなく元々あった考え方を踏襲しつつ、より良く改善していくことである。

今回登場するのは高校野球ではなく中学野球の監督。
橿原磯城リトルシニアの松本彰太監督だ。

1987年4月14日生まれの37歳。

奈良県磯城郡田原本町で育ち、中学時代は橿原コンドル(現・橿原ボーイズ)に在籍。東北高校ではダルビッシュ有選手の1学年下で甲子園に2回出場。その後は近畿大学に進学。

現在はシニアチームの監督であると同時に、奈良と石垣島で樹苑という焼肉店を3店舗経営するオーナーでもある。

松本監督のことを知ったきっかけ

この人を知ったきっかけは、橿原磯城リトルシニアでコーチを務めている大学時代の友人のインスタグラムだった。

昨年末に石垣島で行われたシニアリーグの1年生による全国大会で徳島藍住と同率優勝を果たすまでの一部始終を友人のストーリーズで見させてもらい、やり手の監督であることは理解した。

その後、友人がなにかの折に「このチームでコーチをしていることを誇りに思います」と書いているのを目にして「そんな風に思えるなんてほんまに良いチームなんやなぁ」と思い、リンクが貼られていたyoutubeに飛んで選手に話をしている監督の姿を見たときに、古き良き日本野球の厳しさと現代的な感覚をうまく融合させていることが伝わってきて感動した。

このところずっと探していた、情熱的で地頭が良くて厳しくも温かい理想的な監督をもしかしたら見つけてしまったかもしれないと思ったものの、友人の人間関係に土足で踏み込むわけにはいかないし、また自力でこんな人を探そうと考えていたところ、友人が話の流れで「今度取材おいでや」と言ってくれたので、ありがたくお願いした。

厳しさの理由

最近は野球界にも時代の流れとして自由化を叫ぶ機運が高まっている中、「僕は子供を預かるときに『僕は厳しいですよ』ってはっきり言います。内容をきちんと話して、それで入ってくるかこないか、それだけの話です」ときっぱり言う松本監督。

「かといって厳しくすることや怒ることが当たり前とか、そんな基準ではやってないですよ。厳しさや怖さを持たせることに美徳を感じるとか、そんな考えは全くないですけど、子供って自分の判断でまだ生きられへんから保護者の元で生活するわけじゃないですか。ってことはまだ自分の判断ではどうしても誤りがでるときがあると。だから大人のサポートの中で生活して、こういう環境の中で野球をやるねんから、しっかり導いてあげることが大事じゃないのかなと。
じゃあ子供の側も『ここにやったら導かれても俺どんな結果でも納得いくねん』っていう覚悟が大事ですよね」

子供にも覚悟を求めることを「厳しい」と見る人もいるかもしれない。
そこにはこんな理由がある。

「今はなにかにつけて選手ファーストって言いますけど、その選手ファーストで育った子が世の中に出たときに個人ファーストで見てもらえるのかっていうと見てもらえないんですよ。
選手ファーストで育った子が世間に出たときに、世間がその子に合わせてくれることは無くて、その子が世間に合わせて生きていかなあかんのですから」

中学生に教えておきたいこと

中学生に教えておきたいことを尋ねると、間髪入れずに「夢を叶えるための生活の仕方と、世の中の仕組みですね」と返ってきた。

「うちのチームに来る子たちって、全国大会に出たいとか甲子園に行きたいっていう夢を持って来てる子たちが多いので。うちのチームはそういう子供たちが来てる率が高いです。とにかく硬球ボールに触れることに意味があるとかじゃなくて、その先に明確な目的や目標がある子たちが来てるんですよ」

「じゃあ僕はどういう指導しなきゃダメなのかって考えると、子供たちにミーティングでもよく言うし保護者の前でもよく言うんですけど『甲子園に出れる確率って考えたことある?』って聞くんです。
Googleで調べたら高校野球人口って14万3867人なんですね。いつの情報かはわかりませんけど大体14万人。
今、高校野球のメンバーがこのセンバツから18人から20人登録に増えました。
じゃあ夏の甲子園は20人のメンバー入り×49代表校じゃないですか。そしたら980人がグラウンドで入場行進できる。メンバー外の子もおるし、みんなで野球してるから別にメンバーだけが全てじゃないけど、甲子園の地を踏んで、そこでプレーできる権利があるのは980人。それ割る14万人とすると0.7%の確率なんですよ。その0.7%の世界に行きたかったら、そこに行けるための生活とか考え方とか努力をしなきゃダメだって。
99.3%の世界で生活しながら、0.7%の結果がほしいでは通用しない。だからそこに行けるための教育をするから厳しいこともあるし、子供にとっては大変なこともあると思います」

数字のロジックほどわかりやすいものはない。
この考え方だと子供たちにも理由が伝わりやすいように感じた。

「お金の話はあんまりしないでくださいってのが今の日本の学校教育。
株であったり保険であったり金融関係や税金とかね。
お金の話はしたらあかんていうけど、そんなんと戦って世の中で生きていかなあかんねんから。お金が全てじゃないけど、でも、それがないと生きていけない。
だから自分たちが野球できてるってのはどういうことなのかわかりなさいって話をします」

親が時間もお金も掛けて協力してくれていることなど身近な話から、その上で今自分たちがしないといけないことは何か、世の中の成り立ちに通じる考え方を子供たちに伝えようとしている。

自身の野球経験から得た知見

「それともうひとつは、僕も37歳やから答え出てないんですけど、多分ね、人生ってストップウォッチやって子供らによく言うんですよ。生まれた瞬間にスイッチ入るねんって。時間ってずっと加算で積み上げられていく。
高校野球で3年生の夏を迎えるまでは入寮してから2年4ヶ月なんですね。入寮した瞬間から高校野球はタイマーかかってるんやって。入寮した瞬間から、もう一気に残り時間は減っていくんやって。この間に夢を叶えるために間に合わさないといけない。だから厳しくなるんじゃないの?って。大人が子供に対して厳しくしたいと言うてるわけじゃなくて、夢とか叶えたいものがあるんなら時間がないんよってよく言うんですよ」

「だからね、子供のうちからそういう風に物事を考えられるようになったらいいんじゃないのかなって。子供が大人の気持ちをわかった瞬間にチームって強くなるし、その子って伸び出すんですよ。
大人は子供を経験してるから、子供らにノック打ちながら『俺も昔はしてもらってたけど反対側やったらめちゃめちゃしんどいねんな』とかわかるんですよ。
でも子供って大人を経験したことがないから、想像力が大事になってくる。
この人はきっとこういう思いで言ってくれてるとか、こういう思いでこういうことをしてるってことに気付きはじめたときに子供は伸びますし、そういう子を育てるようにしてあげたいです」

こう考えるようになったのは、自身の野球経験から得た知見でもある。

「僕は小さいときからテレビで甲子園を見たり、近いですから実際に甲子園球場に行ってあのブラスバンドの中で野球やってるのを見て、あそこに立ちたいって夢だけでやってしもてたんです。
野球を長く続けるというよりも、ただ甲子園に出たいと思って野球をしてる自分がいて。甲子園に出れて高校野球が終わったときに、次のセカンドステージは商売をしたいって夢が明確にあったんですよ。でもありがたいことに当時は自分も子供やからわからなかったんですけど、大学の進路をつけてもらったりとか、働きたかったけど『大学行け!』っていう風潮も周りにあったし『行かなきゃダメなもんなんだ』って感じで大学には行きましたけど、結局、俗に言う燃え尽き症候群。でもそれは自分自身が原因だし周りの環境のせいでもないし。
しんどいことと夢を天秤にかけたときに甲子園の場合やったら夢が勝ってたから、どんなしんどいことでも頑張れたけど、それ以降の野球人生では勝てる夢がなかったですね。それが僕の中の反省点です。もっと良い景色があるのに。まだまだ未熟やったな、子供やったなと。
っていう思いがあるから、次の世代の子たちには色んな景色を見せてあげたくて、この前もチームで社会人の日本選手権を見に京セラドームに連れて行ったりとかね。
自分自身、もっと色んな世界を見てたらとは思う。でもそれがなかったからこそ、今の自分がいるのもあります。商売もできてますし。
それに、まず実力あっての話やから野球を続けてたら全員がプロ野球の一流プレーヤーになれるのかっていったら絶対そうじゃないし、やっぱり何かがあるからそこに行けない、何かがあるから大学で野球できない、何かがあるから社会人まで野球できない、何かがあるからプロにいけないと思うし、たらればの話はないですから。
ただ、まだ可能性のある子供たちに対しては、夢持ってやってるんなら長く野球を続けられるような環境は作ってあげたいなと」

おそらく、今ほど情報量が多い世の中になる以前は、大半の人が「後になって気付く」。そういう時代だった。
先人の知見を含む情報が溢れている今を生きている子供たちは、子供のうちから先読みができる恵まれた時代に生まれた利点を上手に活かしてほしいと大人たちは願っている。

経営者になるまで

指導者であり経営者である松本監督。
今に至るまで、どんな道のりを歩んできたのかを聞いてみた。

「ちょうど僕が22、3歳のときに1年ちょっとぐらい、このチームのコーチをさせてもらってたんです。そのときはまだ現場で働いてて、日給月給で働いてる人間やったんです。休みの日曜日に教えに来てたときに、たまたま岡本和真が2年生でいたんです。でもコーチいうたかって、がっつりヘッドコーチとかしてたわけでもなく、ただのコーチで野球の先輩のお兄ちゃんみたいな感じで。
で、その時が岡本和真の1個上の世代で強かったんです。全国大会とジャイアンツカップ、ダブル出場できたんですよ。8月1日から日本選手権でお盆の間にジャイアンツカップがあって。
現場仕事してたけどベンチも入らせてもらってたから会社に『休みください』って言うたんですよ。でも僕の人生をうまいこといかせるためにその会社があるわけじゃなくて、その会社がうまくいくために僕が従業員としているわけで。にも関わらず僕が『休みください』って言ったら返ってきた言葉が『お前、日給月給やのに休めるわけないやんけ』って。ごもっともなんですよ。なんですけど、それが悔しかったんです。そういう自分であるってことが情けなくてね。
そんな中途半端に働きながら、気を遣いながら休みもらってスケジュール調整して指導するぐらいやったら、1年365日、いつでもグラウンドのこと対応できますよと。子供らと野球のことやったらいつでも予定空けれますよと言えるぐらい、先に仕事頑張って自分で商売しようと思ったんですよ。それが23歳から約10年かかったんで。
監督する前の10年、いっぺん水面下に潜ってね」

「ずっとトラック乗ってたんですけど、ちょうど僕が在籍してたときの橿原コンドルの代表やった人が焼肉屋してたんですよ。
トラックの方は朝5時からする仕事やったから、お昼2時で終わるんですよ。それで終わってから遊びに行って飲みに行ってってすること思たら、時間ももったいないし金も掛かるじゃないですか。
それやったらその焼肉屋に『ちょっと修行さしてください』って言うたら『うちバイト雇ってへんぞ』って言われて『バイトとかじゃなくて、ただで雇ってください』って。
だって人に仕事を教えてもらうのに、その人が何十年もかけて培ったものをお金もらいながら教えてもらうなんて、それは間違ってるやろと思たんですよ。
それで2年ぐらい修行してたときに親方が元々病気持ってたのが容体が悪くなって入院生活になって、そのあと数ヶ月後に亡くなられて。それが2013年の5月7日で、店をどうするか?となったんですよ。息子さんは公務員やからできないと。
じゃあ店たたむしかないとなったときに解体費用も結構かかるなと。そしたら卸屋の人に『それやったらお前やれよ』って言うてもらったのがきっかけです。5月31日まではご親族の権利でしたからそれまでの売り上げは渡して、2013年の6月1日から僕の経営になって、去年の6月1日で10年目を迎えました。毎朝トラック乗りながら、夕方から店行ってって生活を2016年ぐらいまで3年ほどしましたね。
ランチはその時の職人さんが残ってるし従業員も残ってるから任せて、夕方から僕が店入って。それをトラック乗りながらずっとやってて。
自分の店になるまではほんまに無給でした。賄いでなんか好きなもん食べって言われるぐらいで。けど僕の中ではそれが当たり前でした」

「で、2019年に、自分の息子が少年野球してて5年生のときにここの監督してくれって頼まれたんです。
けど僕、少年野球の保護者会長してたから1年間待ってもらって、息子が6年生の最後の大会が終わった次の日から、2020年の11月から橿原磯城の監督になりました。
監督業はこれが初めてですけど、戸惑いはなかったです。
商売の方で何百人というアルバイトを見てきてますし、商売の感覚を野球に活かして野球の感覚を商売に活かして、感覚の置き換えをしたらいいだけなんで。
人を見る感覚とか、教育に対しての考え方も商売をしてきた経験から身に付いてきたのかなと思います」

ちょっと普通ではないレベルの根性。
しかし、この人を育んだのもまた野球界である。
どんなに時代が変わっても、その世界の根本的なところは不変だと思う。
最近の風潮では敬遠されがちな根性論だが、野球の世界においては今後も重要な要素であり、野球界の役目のひとつは、根性のある人間を世の中に輩出することではないだろうか。

「今、何の為にそれをしているのか」を常に考える

「野球というスポーツは勝ち抜くことが大事やっていいますけど、最終的には残ったもん勝ちの世界。
部員が100人いる高校でレギュラーやってたらすごいですねって言われますけど、僕はあんまりすごいと思わないです。
大体、まず7割の人間が先に諦めてくれるんですよ。ほな30人になるんです。
30人の内、2年ほどでまた10人ぐらいが諦めるんですよ。
そしたら実質レギュラー争ってるのって15人ぐらいちゃうかなって。
頑張り続けてたら、一緒に始めた内の9割の人間は先に諦めていく。だから残ったもん勝ちの世界だよって。良い素材があっても消えていく。だから消えた天才とかが生まれるし、残ったもん勝ちの世界だと思うんです」

残ったもん勝ち。
これは野球だけじゃなく、この世の普遍的な真理であるように感じる。

生き残るために大切なことは「今、何の為にそれをしているのか」を常に考えることであると松本監督は言う。

「うちの指導者の一人に木村さんていう人がいて。元々日本ハムの選手で、それから日本ハムの2軍コーチ、その後は日本ハムのスカウトを10年以上されてて、有名どころだと糸井嘉男さんとか中田翔選手の担当スカウトなんですよ。
その人が40代のときに僕は中学生で、バッティングセンターで毎週野球教室があって、その教室の門下生やったんです。
そのときに僕がほんまに鮮明に覚えてる記憶がある。そのバッティングセンターの何番レーンて今でも言えます。
そこで教えてもらってるときに僕が思ってたことは、教えてもらったことを自分自身が覚えたいっていうのもあったけど、将来指導者になったとき、自分の子供が野球をするようになったとき、今教えてもらってることをどう教えようって考えながら教えてもらってる自分がおったんですよ。
だからやっぱり昔からこういうことがしたかったんちゃうんですかね。こういう自分になりたかったんちゃうんですかね」

「スポーツで選手としてやってる間って、選手になることしか夢がなかったら、選手生活が終わったらもうそこで終わってまうじゃないですか。だけど僕は、今、何のためにこれをしてるんかってことを考えながらやってました。例えばそれが野球というフォーマットじゃなくて勉強というフォーマットで頑張ったとするじゃないですか。
ほな頑張って勉強してる意味って何?って思ったら、やっぱり世の中に出たときに自分が得た能力を、いかんなく発揮するために勉強してるわけじゃないですか。別に勉強することがゴールじゃなくて、覚えて世の中で武器として振り回すことが勉強する意味じゃないですか。商売してお金稼いだとしても、何に使うかですよね。使いどころを決めずになんぼ稼いで何百万もするベッド買ったとしても快適な睡眠は買えませんから。僕は今、お金稼げたらチームの子たちに費やしたいって思いで商売してますし、何のためにそれをしてるのかってことは子供の頃からいつも考えてました。
だから野球も、せっかく学生の間にやってるスポーツを、どうやったら世の中で自分の武器として振り回して戦っていけるか、学生のときからそういう考え方でしてましたね。
中学校2年生の秋にバッティングセンターの何番レーンで木村さんにこういうことを教えてもらったときにこう感じたっていうことは今でも言えます。
って思たら僕、今、中学生のときに想像してた自分になれてるってのは幸せな話です。想像した自分になりたいと思うなら、そのための生活をしてたら人間てね、100%マッチするかはわからんけど近いとこまでマッチするんですよ。僕はそう思うし、そう思って生きなきゃあかんし」

中学生のときにこの考え方に触れることができたら、きっとその後の人生の大きな財産になるだろう。

選手、保護者、指導者が三位一体となるチーム

監督の話を中学生は理解できているのだろうか。保護者の方にもお話しを聞かせていただいた。

3年生の森田大地くんのお母さんは「子供にも伝わってると思います。上の子もこのチームの出身で今高校生なのですが『こんなとき松本監督やったらどう言うかな』とか、今もよく言ってます」と話してくれた。

他の保護者の方々も皆さん熱心で、松本監督の言う「選手、保護者、指導者の三位一体」が本当に成されている。

この日も多くの保護者の方が来られていたが、当番などはなく、皆さん自主的に来られているとのこと。

「なので今日は2人だけやねぇという日もありますが、大抵これぐらい来てるのが普通ですね」

松本監督 橿原磯城リトルシニア

監督を支える首脳陣も強力で、前述の木村さんをはじめ、プロや社会人でも活躍した歴々が顔を揃える。

友人であり智弁学園時代には甲子園でホームランを放った経験を持つ戎谷コーチは「自分たちが教えてもらったことを子供たちに伝えられたら。高校に入ってから面食らうんじゃなくて、中学生の間にわかってる方がいいから」と話してくれた。

智弁学園 戎谷コーチ

グラウンドの選手たちは体格も立派で、中学生ながら幼さは微塵もなく、雰囲気は高校の強豪校と変わらない。
誰もが自負を持って取り組んでいることが伝わってきた。

グラウンド 高校野球 中学野球

最後に

そして最後に松本監督がこんな話をしてくれた。

「高校野球の試合が2時間半、中学野球やと2時間。って考えたときに、2時間半の映画は2時間半の収録でできるか?ってよく子供らに言うんですよ。企画、構成、撮影とか考えたら何年も掛かる。だからやっぱりドラマのある試合しようと思ったら、2時間で2時間のドラマはできないよと。
2時間のドラマを作るために2年4ヶ月の月日があるんじゃないの、高校野球ってそんなもんじゃないのって。
他にも個人的に小さい頃からの積み重ねや思い出もあるし親子の絆もあるし、色んなもんが重なってドラマができるわけやから、そういったことを大事に考えてます。だから人生を自分の情熱とか思いを演じる舞台やって考えよって。そう考えたら人生楽しいやんって。たまたま野球やっとんねんから、お前らはその舞台がこのグランドやって」

今は「がんばらない」ことが流行っているし、確かにそれが必要なときもあるけれど、高校野球が多くの人に感動を与えるのは、彼らの努力が付け焼き刃ではないからだと思う。
どうしたってがんばらないといけない人生の中で、大人にまで「自分もまたがんばろう」という勇気を与えるのも日本における学生野球の大切な役割だ。

私自身、なぜこんなにも野球が好きなのか、野球から力をもらえるのか、それがよくわかった今回の橿原磯城リトルシニアの取材だった。

こういう人たちが世界で戦える日本野球の土台を作っている。

松本監督をはじめ、選手、保護者、指導者の皆さん、この度は大変ご親切に接していただき、色んなお話しを聞かせてもらいまして本当にありがとうございました。

そして橿原磯城リトルシニアというチームを知るきっかけをくれた戎谷コーチにも心から感謝申し上げます。

編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP