夕暮れの花隈メイン通りに、今日もカンテキの煙が立ち上っている。
ここ花隈には、私が高校時代に生まれて初めてのバイトをしていた焼肉屋がある。
花隈、焼肉。
そうです、満月。
神戸でも有名な焼肉屋。
うちの親も好きで中学生の頃からよく食べに来ていた。
高2のある日、何かの帰りに自転車で満月の前を通ったとき、ふと「あ、満月でバイトさせてもらえたりするかな?」と思い、ふらっとお店に入って強面の店主にお願いしてみた。
するとその場でちょっとした面接のような格好になり「ほないつから来れる?」と、すぐに希望は叶えられた。
帰宅して母に「満月でバイトすることになった」と報告すると「うそー!めっちゃええやん!」と大喜びしていた。
ちょっとした親孝行のつもりもあったけど、この時に私は社会の入口に立った。
当時の満月は30歳そこそこの店主とっくんさんと周りがザワつくほど美人の奥さんを中心に、敏腕マネージャーの他、5〜6人の大学生やフリーターのバイトで構成されていて、最年少の私はみんなにとても可愛がってもらった。
有名店なので芸能人やスポーツ選手もひんぱんにやって来て、高校生のバイト先としてはすっごく刺激的だった。
この頃のとっくんさんはめちゃくちゃ恐くて、ひよっこの私はよく怒られた。私以外の人も平等に怒られてて、ただでさえ強面のとっくんさんが吠え出すと毎回縮み上がる思いだった。
でもベースがめっちゃ愛情深い人で、みんなとっくんさんのことが好きだったから、それが理由で辞める人は誰1人いなかった。まるで強豪校の監督だ。
社会に出たばかりの私は右も左もわかっておらず色んなことで怒られて、泣きながらバイト時間を終えることも何度もあったけど、どんなに怒ったあとでも、とっくんさんは毎回びっくりするほど美味しい賄いを作ってくれた。
牛タン入りのオムライス、クッパ、ビビンバなどなど、毎回全然違うものを作ってくれて、どんなに怒ったあとでも笑顔で「どう?美味しいやろ?」と聞いてくれた。
本当に美味しいので、私も毎回「めっちゃ美味しいです!」とご機嫌に答え、今思えばこの時間のわずかなコミュニケーションでお互い全てがちゃらになっていた。
とはいえ私も決して真面目な子ではなかったので、たまにバイトを休みたくなることがあった。
高3の夏休みに、どうしても友達と海に行きたくて体調不良とウソをつきバイトを休んで海に行った。
翌日、何食わぬ顔でバイトに行くと、なんとなくみんなの視線が冷たいのが不思議だった。
するととっくんさんが私のところにやってきて「自分、爪甘いわ」と吐き捨てた。
それでも事情が掴めずにいると「しんどくて休んだ次の日にそんな真っ黒に日焼けしてくる奴がどこにおんねん!!」とキレられ、ようやく私は全てがバレていることに気付いたのだった。
この日も例によってとっくんさんは賄いの時間には笑顔を見せていたけど、大胆なミスをするわりに気が小さい私は、この日のことを長年気にしていて、3年前に意を決して謝りに行った。
中山手にある満月の工房を訪れ、37歳になった私は50歳を過ぎたとっくんさんに、18歳のときの過ちを謝罪した。
すると「今まで長いこといっぱい人雇ってきてたらな、そんなんよくある話やから全然気にせんでええ。まぁ爪は甘かったよな(笑)けどそれをわざわざ謝りにくるとこがええやんか」と、とっくんさんは褒めてくれた。
強豪満月のみそっかすだった私が、やっととっくんさんに褒められた。
実は、自分の中でこの件が引っかかっていて、19歳で満月を辞めてから、数えるほどしかとっくんさんに顔向けできていなかったのだ。
そのときに「また食べに行かせてもらっていいですか?」と聞いたら「いつでも連絡しておいで」と言ってくれた。
その後すぐに行かせてもらい、久しぶりに満月の焼肉を堪能した。
やっぱり満月の焼肉がこの世で1番美味しい。
それからも私は時々、これまでの空白の時間を取り戻すかのようにとっくんさんに会いに中山手にある満月の工房に行っている。営業時間中だと話せないので、夕方に工房で話す戦法だ。ご迷惑になるといけないので2〜3分で退散するけど。
相変わらず強面でオーラありまくりのとっくんさんと話すときは、自然と両手を後ろで組んで直立不動の姿勢になってしまう。
恐いけどずっと大好きでかっこいいとっくんさん。
初めてバイトした場所が満月で良かった。
おかげでそれからどこで働いてもちょっとやそっとでは動じないし、根性も身についた。
あんなに何もできなかった私を2年も雇ってくださって、厳しくしつけていただいて、本当に感謝しています。
いつまでもお元気で、これからも美味しいお肉を作り続けてくださいね。
夕暮れの花隈、カンテキの煙、辺り一面に立ち込める焼肉の匂い。
この場所で私は大人への第一歩を踏み出し、学校とはまた違う青春の日々を過ごした。
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