しかし関西弁の「知らんけど」が今年の流行語大賞にノミネートされたというニュースには仰天した。
流行語大賞の話題でこんなに驚いたのは2016年の「神ってる」以来だ。
あのときは、それが全く流行語じゃなかったからビックリした。きっとこの言葉をポツリとつぶやかれた緒方孝市氏本人が1番驚かれたと思う。
今回の「知らんけど」のノミネートには、関西人総出で驚いている。
これが流行語ってどんな状況や。昔っからみんな使こてたやないか、と。
「知らんけど」は関西人が文末につける責任回避の言葉であるとネットに書いていたが、全くその通りだ。
あと、照れ隠しの意味合いを持つ場合も多いのだが、これがバレたら関西人は照れてしまうので詳細は書かないでおく。
責任回避の「知らんけど」はこのように使われることが多い。知らんけど。
「あそこは奥さんの実家が資産家でな、京都の半分は自分とこの土地らしいで。知らんけど」
「明徳出身のA君はグローブに塗る専用クリームの代わりにニベア塗ってるらしいで。知らんけど。」
「知らんけど」さえあれば、なんでも言いたい放題なので、私も友人との軽い会話では、しょっちゅう便利使いしている。
私の周りもテキトーな人間が多いので、不確かな話だと分かりながらも、その場が楽しく盛り上がればなんでもいいと思っているふとどき者ばかりだ。
「マジで?京都半分持ってるとかやばいやん!くそ金持ちやん!知らんけど」
「明徳ではグローブにニベア塗る決まりなんちゃん?知らんけど」
もしこの世に「知らんけど」が無かったら、私たちは単なるウソ、大げさ、まぎらわしいの罪で、とっくにJARO(日本広告審査機構)に訴えられている。
もうひとつ、同じようなニュアンスで私が言われてうれしくなる関西弁は「えーんちゃいます?」だ。
それもできるだけ感情がこもっていなくて抑揚がなく、尻上がりに語尾の「す?」だけが強調される発音のものが好きだ。
その「えーんちゃいます?」からは親身さは全く感じられないが、「別になんでもえーがな」という大らかさは伝わるので、すごく悩んでいるときに言われると、とても気が楽になる。
敬語であるところから分かるように、これは親しい友人間ではなく、職場だったり年齢差があったり、知人レベルの間柄で使われる言葉だ。
だから私もそんな関係性の人が「ほんまにこれでいいかなぁ?」と相談してきたら、心を込めつつ、でもできるだけ感情は抜いて「えーんちゃいます?」と投げやりに言ってあげるようにしている。
すると不思議なもので、やっぱり言われた側はその瞬間、パッと表情が明るくなるのだ。
そんな大して考えこむようなことじゃないとわかってるけど自分としては気にしてしまう程度の悩みにはこれは非常に有効な言葉だ。
でも、「えーんちゃいます?」と「知らんけど」は混ぜるな危険だと思っている。
「えーんちゃいます?」はなにげに寄り添い言葉なので、これでせっかく緩んだ心が、責任回避の「知らんけど」を付けられると再び自信を失い、また思考のループに戻ってしまうからだ。もちろん関係性やその場のノリによって付けた方が良い場面もあるけれど。
これを関西人は幼い頃から感覚で身に着けているので、ほとんどの人は「知らんけど」の使い所を正しく理解している。
もし「知らんけど」が流行語大賞に輝いたあかつきには、この言葉の取り扱い説明書を関西から全国にお届けした方がえーんちゃいます?知らんけど。
これは悪い使用法の例である。
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