神戸の老舗とうふ屋 原商店の三代目!

インタビュー

神戸では土曜日の朝にファーマーズマーケットというオシャレな朝市が開催されている。
毎回、市内の色んな農家さんやお店が参加されていて、そこで買ったコーヒーを飲みながらぐるぐると見て回るだけでも楽しい。
そこに毎回参加されている原商店という豆腐屋さんのお豆腐や厚揚げの美味しさは格別だ。
「とうふ」と平仮名で書いてある小さな冷蔵車も目を引く。

この原商店は湊川の東山商店街にお店があり、ファーマーズマーケットで販売しているのは三男の原宏史さん(40)。
武骨で朴訥、ヒゲをたくわえたその風貌は一見怖そうな印象を受けるが、話してみるととても温かい人柄がすぐに滲んで見えてくる。

湊川近辺出身の編集長は、第1回目のインタビューをゼヒ原商店さんにと持ち前の燃えたぎる情熱でオファーを出したところ、快く引き受けてくださった。
というわけで、原宏史さんにインタビューを敢行。

創業時から現在に至るいきさつ

まず驚いたのは、原商店は三代目に当たる3人息子全員がお店を継いでいることだ。
小さなお店をご両親と息子3人で切り盛りしている。
最初にこのいきさつから聞いてみた。
するとご丁寧に、創業時のお話からしてくださった。

原商店は今から70年前に、宏史さんの祖父に当たる原久夫さんが始められたそうだ。
そのお店で修行した久夫さんの弟が興したのが、同じ湊川のマルシン市場にある原とうふ店。

湊川 東山商店街 原商店

原とうふ店と言えば、はらドーナッツで有名だが、原商店とは親戚関係ではあるものの使用している豆も水も違う全く別のお店である。
よく間違えられるこの2店だが、今回お話を伺ったのは東山商店街の原商店だ。
我々はまずこの部分をしっかり認識する必要があるだろう。

70年も続くお店なので、三代に渡って買いに来てくれるお客さんも多い。
宏史さんの父の代から、今では一般的になったニガリをこの辺りの豆腐屋で最初に使い始めたことを機に、豆腐の評判が上がっていった。
井戸水を使い大豆の含有量が他店より圧倒的に多く、他店からすると濃すぎると思われるほど濃い豆乳を使用して豆腐を作っている。

編集長も、もともと豆乳が苦手だったが、原商店の濃い〜豆乳は大好きである。
だからどれほど濃いものを使っているかはよく分かる。
これはゼヒ一度、豆乳が苦手な方にも飲んでみていただきたい逸品だ!

3人の息子が引き継いだ経緯

原商店の3人の息子に話を戻そう。
「親父の考えでは、当初は長男だけに継がせるつもりだったんです。」と宏史さん。

長男の諭史さん(45)は専門学校卒業後、すぐにお店に入り豆腐の製造を学んだ。

次男の武史さん(43)は別の仕事をしていたが、父が仕事関係の人から「次男もお店に入れた方がいい。」と勧められ、諭史さんに3年遅れて武史さんもお店に入った。

それでも宏史さんからすると、どこか三男の自分は関係ないと思っていた為、いくつか他の仕事を経験後、これまで貯めたお金を3ヶ月で使い切ってやろうと仕事を辞めた空白の期間があった。
まだ将来の事など何も考えていない21歳の時だった。

その時期にふらっとお店に顔を出したときに、宏史さんにとって些細なきっかけが大きな転機となる出来事が起きる。

80歳位のおばあさんがお豆腐を買いに来てくれた時のことだ。
「どこから買いに来てくれたんですか?」と尋ねると、そのおばあさんは西鈴蘭台からわざわざ来てくれたという。

「遠い所からわざわざありがとう!」とお礼を言うと、そのおばあさんが「家の近くにスーパーもあるし近所で何でも揃うねんけど、豆腐だけはここのじゃないと嫌やから。」と言ってくれた。

それを聞いた宏史さんは「それなら家まで配達してあげたいな。」と思い、すぐ父に配達の話を持ちかけるも、「そんなもん売れるか!」と最初は反対されたが、父が信頼する取引先の方からの口添えもあり、実現した。

配達のはじまり

場所柄、元々神鉄沿線のお客さんが多かったこともあり、4人のお客さんに「週2回配達するよ!」と声を掛けてみると、皆さんとても喜んでくれた。
そして最初はひよどり台から唐櫃までの配達が始まった。

ただ、きっかけになったおばあさんには「私は運動がてら来てるから、配達はええわ。」と断られた。笑

なので、たった4人のお客さんのために、自分の車で1軒ずつ配達して回った。

するとそこから派生してお客さんからの紹介が相次ぎ、気がついたら北六甲台まで回るようになっていった。

さらにそこから今度は垂水にも来てほしいと声が掛かる。
最初は1〜2人のお客さんの為だけに垂水にも行くようになった。
徐々に垂水でも紹介やクチコミは波紋の様に広がり、西神にまで広がりを見せていった。

週2回、3ヶ所を回った。
次第に回りきれなくなり、月曜日から土曜日まで、週1回ずつに変更。

そうしてマイカーで回り続けて2年が経った頃、父に冷蔵車の導入を依頼。
大きなワンボックスの車だと、バットから油がこぼれてしまったり、色々気になるようになっていた。
そして導入されたのが、現在のとうふ号だ。

原商店_とうふ号_冷蔵車

「だから、僕はいつお店に入ったかはそこまで明確な節目があった訳じゃないんです。
気がついたら今に至ってたって感じですね。」と宏史さんはイカつい顔をほころばせる。

「今、全国で年間500軒の豆腐屋が潰れているそうです。そんな中、小売だけで息子3人全員が店を継いでいるのは確かにすごいことかもしれません。
でも、うちはたとえ赤字になっても続けていく意義があり、大義があると思っています。」

力強くそう語る宏史さんがあまりにもカッコよくて、無精ヒゲさえもだんだん武将ヒゲに見えてきた。笑

次回は、そんな宏史さんがファーマーズマーケットに出店するようになったいきさつや、今後の展望などの話をお届けしますので、次の更新もお楽しみに〜!

次回記事
原商店の三兄弟が信じた道

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編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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