【復興宮司】生田神社・加藤隆久名誉宮司

インタビュー

あの日の朝、生田神社の宮司だった加藤隆久さん(現・名誉宮司)は、地震で倒壊した拝殿の前で、呆然と立ち尽くした。
現実とは思えないその光景を前に、全てを諦め、打ちひしがれそうになったそのとき、同神社の先々代の宮司だった亡き父親の声が聞こえてきたという。

「私は人生の中で3つも神社を建ててきたけれど、君は今まで学問はよくやってきたが、神社を建てたことありますか?」

その瞬間、「そうか!これは私に与えられた使命なんや!神戸のシンボルである生田神社を復興させて、神戸の人々の希望となろう!」と奮い立った。

そしてなんと、震災の翌日の1月18日には、業者に修復工事の依頼を出し、翌年(1996年)の初詣は例年通り参拝者を迎え、6月には復興工事が全て完了した。

生田神社 阪神大震災

生田神社 阪神大震災

あの惨状から、たった1年半での完全復活という、信じられないようなまさに神業を成し遂げ「復興宮司」とも呼ばれる加藤さんに、お話を伺ってきました。

阪神・淡路大震災で拝殿が倒壊

『うるはしき 唐破風持ちし拝殿は 地上に這いて 獣の如し』

阪神・淡路大震災当日の朝に、加藤隆久宮司(現・名誉宮司)は、こんな歌を詠んでいる。

「白鳳」という歌の号を持つほど和歌に詳しい加藤さんは、大震災発生直後から、被害の状況や復興の様子などを折に触れ、和歌に託してきた。

『御社殿も 石の鳥居も灯籠も あはれ瞬時に 崩れ倒れぬ』

生田神社 阪神大震災

1995年1月17日5時46分。淡路島北部を震源として兵庫県南部を襲った阪神大震災は、たった20秒ほどの激しい揺れで、神戸の街をこてんぱんに破壊し、生田神社も、拝殿をはじめ、境内に甚大な被害を受けた。幸いなことに御神体のある奥の本殿は無事だった。

『あのビルも この家もまた かの店も 瓦礫と化して 蹲りたる』

生田神社 阪神大震災

近隣の商店や民家も、どこも壊滅的な被害を受けており、「神社は地域のコミュニティセンターであるべきだ」との持論から三宮・元町地区の商店会会長も務めていた加藤さんは、すぐに付近の商店街を周り、声を掛けて回った。

「うちも頑張るから、生田さんも頑張ってくださいね!」

「うちの娘の結婚式は、必ず生田さんで挙げたってくださいよ!」

誰もが大変な状況だったにも関わらず、掛けてもらった沢山の温かい言葉に励まされ、ますます加藤さんの心は燃え上がった。

『かにかくに 氏子や父の建てし宮 復興に向け 燃えたつ我は』

たった1年半で再建された生田神社は、加藤さんの亡き父が造った唐破風と朱色が美しい木造拝殿はそのまま残し、柱の根元を超高層ビルに使用される高強度のコンクリートで補強し「世界最強の耐震神社」として生まれ変わった。

生田神社 阪神大震災

『朱に映えし 唐破風今ぞ甦り 羽を拡げし 真鶴のごと』

「造営宮司」だった父の背中を見て育った

加藤さんは20代も続く神職の家系のご出身。
加藤さんの父・鐐次郎さんは、滋賀の多賀大社、岡山の吉備津彦神社、そして戦後の生田神社と生涯3度に渡って神社を造り「造営宮司」と呼ばれていた。
そんな父の背中を見て育った加藤さんは見事に「復興宮司」となったのだった。

加藤さんは1934年に岡山県で生まれ、3歳の時に父の「転勤」で神戸に移り住んだ。

1945年6月5日の空襲で、生田神社は600発の焼夷弾を受け、末社の大海神社と弁天神社、石の大鳥居を残して、あとは全て灰燼に帰してしまった。御神体は父が胸に抱いて神社内の池に飛び込んだため、無事だった。

その後14年に渡り、父は生田神社を再建するため奔走し、そんな父の姿が今も目に焼き付いているという。

生田神社 阪神大震災

生田神社に奉仕する傍ら、教壇に立つ

加藤さんは甲南大学文学科(国文専攻)卒業後、家業である神職を継ぐために國學院大学大学院に進み、神道学を学んだ。

大学院卒業後は、生田神社に奉仕する傍ら、甲南学園で教壇に立った。

担任を受け持った中学生の男子らはとても可愛らしく、加藤さんは生徒たちから下の名前をもじって「ヒーちゃん」「ヒーコ」と呼ばれていて、のちにその同窓会の名前を「秀偉児(ひいこ)会」と名付けたそう。
教え子たちへの愛に満ち満ちた素敵なネーミングに、心がポッと温かくなった。

その後、1984年から神戸女子大学教授。
1986年に30代目の生田神社宮司に就任。

国内外の多くの人との交流が震災時に活きた

同年に論文が認められ、國學院大から博士の学位を取得した「文学博士」でもある。

地域活動にも意欲的に参加し、数多くの国際交流も精力的に行い、訪れた国は55ヶ国にものぼる「国際派宮司」でもあった。

震災のときには、加藤さんがこれまで関係を築いて来られた国内外の友人たちからも多くの励ましと援助をもらったという。

生田神社は天照大神の和魂(にぎみたま)とされる「稚日女尊(わかひるめのみこと)」を御祭神とする伊勢神宮系列の神社であることもあり、震災の際に折れてしまった大正時代からある石の大鳥居の代わりに、伊勢神宮で使用されていた檜を譲り受けて大鳥居を再建した。

生田神社 阪神大震災

神戸のシンボルとしてあるべき姿への自覚

そして自ら先頭を切って、ヘルメット姿で神社の復興工事に連日立ち会い、取材に訪れるマスコミ関係者を気丈に出迎えた。

今回の取材の際に、加藤さんが「良かったら資料にしてください」と言って手渡してくれた『生田神社 阪神大震災復興の記録』という本には、震災当日から4年間の新聞各紙の記事が全て掲載されていて、それを拝読している内に、ありがたさのあまり涙がとめどなく流れてきた。

そこには神戸のシンボルとして、まず生田神社が頑張って立ち上がる姿を見せて、神戸の人を勇気づけようとした加藤さんの使命感、責任感、行動力がびっしりと記録されていた。

震災当時、小学生だった私は、あの頃、神戸の大人の人たちが頑張ってくれたから今の神戸があると頭ではわかっていたつもりだったけれど、改めてじっくり経緯を追ってみると、加藤さんをはじめ生田神社の皆さんも、業者や記者の方々も、そして被災地域の全ての方々、さらには神戸を愛する世界中の人達が、こんなにも奮闘してくださっていたことに、胸がつまって言葉も出なかった。

あの年のオリックス優勝の陰に生田神社の存在があった

思い返してみると、あの年に当時は神戸が本拠地だったオリックスブルーウェーブがリーグ優勝したのも、あまりに出来すぎた物語だ。
1995年2月16日、オリックスの猿渡球団代表(当時)が1人で生田神社を訪れ、優勝祈願のご祈祷を受けたことが全てのはじまりだった。

生田神社 阪神大震災

あの年のオリックスはユニフォームに「がんばろう 神戸」の文字を刻んでシーズンを戦い、仰木監督も選手も全員が「勝って神戸の人たちを勇気づけたい!」という気持ちが乗っていた事は今も記憶に焼きついている。

オリックスが勝つ度に、少しずつ神戸に活気が戻ってくるような感覚だった。

あの時のオリックスと、神戸や他の被災地域の迅速な復興は、人間の底力と、人智を超えた何かが融合していた感じだったが、その架け橋となっていたのが生田神社だったというわけだ。

生田神社 阪神大震災

翌年(1996年)は、仮の拝殿に監督や選手も勢揃いして優勝祈願に訪れて、今度は日本シリーズも制して悲願の日本一に輝いた。

当時の神戸っ子たちにとって、オリックスやイチロー選手らは、まさに「希望」だった。

イチロー 生田神社 阪神大震災

シンディ・ローパーが福娘として登場

「希望」は海外からもやってきた。
かねてから神戸を気に入っていて、震災の1ヶ月前にも神戸でコンサートを開催したシンディ・ローパーが地震の翌年(1996年)に生田神社の節分祭で福娘を務めた。

生田神社 阪神大震災

これは「大好きな神戸のために、なにか私にできることはありますか?」というシンディ側からの打診により実現した。

お話をうかがって

生田神社が「神戸のシンボルたらん」と立ち上がり、被災された方々と共に粛々と復興に励んでいる間のモチベーション役をオリックスが担った。特別ゲストはシンディ・ローパー。

あの時代、オリックスの監督が仰木さんで良かった。イチローがいてくれて良かった。そして、生田神社の宮司が加藤さんで良かった。この巡り合わせは偶然のようでいて、必然であった気がする。

さらには加藤さんのお父さんが「造営宮司」でなかったら、今の神戸は無かったかもしれないと思うと、歴史というのは本当に点と点が線となっていて、あとから振り返ると、ものすごく良くできている。

教科書でしか知らないような英雄というのは、語り継がれる間に話に尾ひれがついた所もあるんじゃないかと思っていたけど、しっかり記録が残っている数十年前の出来事でこれなんだから、歴史って意外と作り話でもないのかもしれない。

加藤さんは米寿を迎えられた現在も、記憶力抜群で、かくしゃくとしていらした。

今の生田神社は、そんな大変な時代を乗り越えてきたとは思えないほど、都会のド真ん中にあるスタイリッシュな神社だ。
「神戸」の地名の由来通り、これからも神戸のシンボルとしてどっしり存在し続けていってほしい。

ところで、空襲でも震災でも無事だった末社の大海神社って、ちょっとすごすぎませんか?

生田神社 阪神大震災

編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP