【マンドリルカレー深澤社長①】

インタビュー

マンドリルカレー。
神戸に複数の店舗展開をする有名カレー店。
今回のインタビューは、そんなマンドリルカレーの社長である深澤宏樹氏。

今や神戸を代表する企業の社長であることは間違いないのだが、彼は私の地元の後輩。
さらに言うと同級生の弟だ。

なので小学生の頃は「ヒロキ」と呼び捨てにしていたけれど、さすがにこの場で「ヒロキ」では良くないので、せめて「深澤くん」と呼ばせてもらうことにする。

育った環境

うちの地元は教育熱心な家庭が多かったが、深澤くんのおうちはその中でも特にカシコの家系で、お父さんは小学校の先生を経て大学教授になり、叔父さんはお医者さん。

そんな深澤家はお察しの通り、厳しかった。
小学生の頃は家でひたすら百マス計算をさせられたりしていた。
優しいお母さんは仕事で帰りが遅く「お母さん早よ帰ってきてー!」と思っていた。

でも実は深澤家は元々は商売人の家系であり、商売の大変さを見てきた深澤くんの親世代がカシコ路線に行っただけで、祖父母も曽祖父母も商売をしていた。

共働きの両親の元で育った深澤くんは、近所に住んでいた祖父母の家に預けられることが多く、どっちの流れも見ながら育った。

野球少年だった

マンドリルカレー 深澤社長

少年野球に熱中していた小学生時代の深澤くんは、泣き虫だった。
「深澤家に遊びに行ったときとか、なんかいつも泣いてたよね?」と聞くと「はい!よぉ泣いてました(笑)」と即答。

「小6のとき、少年野球のキャプテンしてたんですけど、父が先生してる小学校と対戦したとき、1回表にいきなり3エラーしてめっちゃ泣きました!今でも泣き虫ですよ(笑)」

中学時代は生徒会長

中学時代は荒れ狂った2コ上の代を目の当たりにして、深澤くんの代はマジメだったし特にワルい子もいなかったけど、きっとみんなどこかで影響を受けたという。

私たちの学年もマジメだったけど、深澤くんの2コ上で私の1コ下のその代だけファンキーすぎて、「あの代とかぶってる世代は、マジメな子でも何らかの影響を受けてるよね」と深澤くんと真剣に語り合った。
「こんな世界もあるんだな」という理解、のような。

中3の時は生徒会長を務め、夏休みはその活動の一環として兵庫運河でイカダ作りに励み、晴れて天下の兵庫高校に進学。
中学と違って落ち着いて勉強できる環境なことに驚いたという。

電車に乗り間違えた大学受験

兵庫高校は予習していくのが当たり前という風潮で、負けず嫌いの深澤くんはちゃんと予習してから学校に行っていた。
入学当初は320人中318位とかだったが、高3の時には文系では校内でトップになった。
「小学生の頃の厳しい父の教えのおかげで土台ができてたんでしょうね」

センター試験も8.9割取れて、大阪大学を受験することになったが、高校までずっと自転車行動をしていたので電車に乗ることに慣れてなくて、受験当日に新開地駅のトラップに嵌って遅刻。
阪急電車に乗りたかったのに、間違えて阪神電車に乗ってしまった。

焦ってお姉ちゃんに電話して行き方を教えてもらうも、1科目受けられず不合格に。
それでも高校まで通っていた久保田学園の先生は「ナイストライやったな!」と言ってくれた。ちょっと全員のんきすぎやしないかしら。

最初の夢はミュージシャン

結局、センター利用で関学に進学したが、深澤くんは別に勉強のエリートを目指していたわけではない。
高1から音楽にハマっていたからだ。
高校時代は勉強もしていたけど、バンドを組んでライブハウスでベースとして活動していた。
厳しかったお父さんも、深澤くんが高校になったらゆるくなったという。
「父親は小学校の先生やったから我が子が小学生の時は特に厳しかったように思います。でもそんな父も、今じゃもうゆるゆるのふにゃふにゃですよ(笑)」

バンドは8コ上の人たちとしていたので、この頃から色んな価値観に触れていた。
最初はロックをしていたが、高2からはよく行ってた服屋の店主に感化されてファンクなどのブラックミュージックにハマる。

大学時代はライブハウスでバイトして、そこで紹介された日本を代表するジャズサックス奏者の土岐英史さんの影響もありジャズが好きになって、音楽の道に進みたいと思っていた。その頃は神戸のホテルで演奏のバイトもしていた。

米・ニューオリンズでの転機

そして20歳のときにジャズ発祥の地であるアメリカ・ニューオリンズにフェスを見る目的で2〜3週間旅に出たことが、大きな転機になった。

ニューオリンズでは街中のいたるところで、みんな音楽を演奏していた。
音楽を仕事にしているというよりは、ただ楽しんでいる人々の姿を見て「音楽を仕事にするのはなんか違うな」と感じた。
音楽を仕事にするのではなく、ただ楽しもう!と思った。

ニューオリンズは食の街でもあり、神戸もそういう街になればいいなとの思いから、最初は「神戸に音楽と食を楽しめるライブハウスを作りたい」と考えた。

そんな深澤くんが、マンドリルカレーにたどりつくまでの経緯は来週お届けしまーす!

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編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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