nennepan(ネンネパン)未来型パン屋に込められた想い

インタビュー

神戸市北区の閑静な住宅街に、そのパン屋さんはある。

といっても店舗は構えていないので、一見すると普通の民家だ。

おうちの玄関を開けると、香ばしいパンの匂いがふぁ〜っと広がってきた。

最先端スタイルのパン屋

実はこのnennepanは受注販売専門の、近未来的で最先端スタイルのパン屋なのだ。

中古戸建てをリノベーションし、1階にある普通の和室だった部屋を厨房に改装。

パンを焼くのに必要な業務用のオーブンやミキサー、急速冷凍庫まで、全て完備されている。

あまりにも立派な厨房で、ここが和室だったとは、とても思えない。

このパン屋の店主・高嶋智子(さとこ)さんは編集長の高校時代の同級生。

ぽわ〜んとした雰囲気でとても穏やかな性格だが、芯はしっかりしている。
編集長とは全てが真逆である。

でも友人だからという理由ではなく、サトコさんは東京の超名店『シニフィアン・シニフィエ』で修行を積んだ本物のパン職人。

さらに販売形式もユニークだということで、密着インタビューをお願いした。

お引き受け頂いた感謝と敬意を込めて、ここでは普段の呼び名ではなく、”サトコさん”と書くこととする。

nennepanのパン作り

nennepanは週1回の販売で 、LINEか電話での受付のみ。

毎週月曜日22時に注文を締め切り、金曜日にパンを焼いて午後12時頃からのお渡し、もしくは配送となる。

金曜日にパンを焼くということで、木曜日の夜から泊まりがけで取材に行かせてもらった。

数時間の仮眠を取り、夜中の1時半頃から焼き始め、そこから朝の7〜8時まで、ひたすら色んな種類のパンを焼き続けるという、本当にこの仕事が好きじゃないと出来ないような作業を1人黙々と続けるサトコさん。

nennepan パン焼き

「生地の状態を見て、ベストなタイミングで窯入れしたり、窯出ししたりするねん。ベストなタイミングじゃないと、最高の美味しさは作り出されへんから。」

ずっと手を動かし続けながら、ポツリと出る言葉からも高いプロ意識が伺えた。

nennepanの厨房には、急速冷凍庫まで導入されている。

nennepanの厨房 急速冷凍庫

「焼き上がり立てのパンがパリッとした状態のまま、すぐに急速冷凍することで、1週間後に解凍して食べても焼き立ての食感を味わってもらえるし、スライスしてから冷凍するから、食べたい分だけ解凍してもらうことができるねん。」

これは、店舗を構えていないからこその、サトコさんのこだわりだ。

この言葉からも、パンを美味しい状態でお客さんにお届けしたいという強い想いが伝わってくる。

最近は常温お渡しよりも、この急速冷凍お渡しでの注文が増えているという。

その後も注文伝票を確認しながら、受け取りに来られるお客さんの分、配送する分、と寄り分ける作業やパッキング等であっという間に午前中が過ぎてしまった。

nennepan 寄り分ける作業やパッキング等

nennepan 寄り分ける作業やパッキング等

お昼の12時を過ぎると、直接受け取りに来られたお客さんの対応に追われる。

この日は雨だったので、サトコさんが傘を差しながら、家の前に停まるお客さんの車まで、お庭を走って行き、お客さん持参のエコバッグと代金を受け取って厨房に戻る。

そして注意深く伝票とにらめっこしながら、間違いの無いようパンをエコバッグに入れて、また傘を差しながら小走りでお客さんに手渡しに行く、というドライブスルー方式になっていて大変そうだった。

しかし「せっかく来てくれたお客さんに、雨に濡れずにパンを渡したいから。」と終始笑顔で対応にあたる姿は、天気は雨なのに、そこだけ光が差しているようだった。

お客さん対応の合間に配送分の箱詰めをしたりと、夕方までサトコさんの手は全く休まることは無かった。

ネンネパン 受け渡し

ネンネパン 箱詰め

神戸の老舗洋菓子メーカー ユーハイムでパン作り

小学生の頃からケーキ作りが趣味だった。
美味しいものを食べたい、作りたい、という気持ちは当時から人一倍強く、納得いくまで何度も作り直した。

大学では栄養学を学んだが、やっぱり栄養士ではなく作り手になりたいと思い、神戸の老舗洋菓子メーカーのユーハイムに就職。

ケーキ作りができると胸を踊らせて入社したものの、配属されたのはパンの部署だった。

「あれ?ケーキじゃない・・・。」とショックを受けつつも、ユーハイムのパン部門でライン作業をしていたある日、社内にもう1つパンの部署がつくられることになった。

新しいパンの部署は、サトコさんのような新入社員は担当できず、東京などから集められた一流職人だけで作られていた。

そこで作られたパンを食べさせてもらった時に、自分たちが作っているパンより遥かに美味しいことに衝撃を受けた。

その美味しいパンを作っていた一流職人さんの1人が、のちにシニフィアン・シニフィエを立ち上げた志賀シェフだった。

ある時、新しいパンの部署に欠員が出て、急きょそちらに入れることになり、その後1年ほど一流職人さん達と共に働いたが、その後工場は閉鎖。

サトコさんは、京都にあったユーハイムとイギリスの紅茶メーカーが共同経営する『フォートナム&メイソン』へ異動になる。

そこで2年ほど働いたが「なんだかさみしくなって神戸に帰りたくなっちゃって」仕事を辞め「パン屋は朝は早いし夜は遅いし、なんて職業だ!もうパン作りはやめよう!」とさえ思って神戸に帰ってきた。

パンの名店 シニフィアン・シニフィエで修行

それからしばらくバイトをしながら生活していたが、不思議と休日になるとまたパンを焼いていた。
やっぱり自分はパン作りが好きなんだと改めて気付いた。

それから神戸のあらゆるパン屋さんのパンを食べてみたが、働きたいと思うお店はなかなか見つからなかった。

そんな時、たまたま志賀シェフから、東京で自分のお店を開いたと連絡が来た。

「またなにか相談あればいつでも言ってきて。」と言ってくださり、もうその場で「相談あります!今まさに悩んでます!」と打ち明けた。

「やっぱりパンが好きで神戸でも色々探したんですが、できれば志賀シェフのところで働かせてもらいたいです!」と勇気を振り絞って言ってみると、なんと「いいよ!」と即答してくださり、それから2ヶ月後、上京。

サトコさんは確かにこういうところがある。普段はぽわわ〜んとしているのに、自分がこうと決めたことには猪突猛進するのだ。

やはりイノシシ年の血は争えない。

そんな縁で、かの名店『シニフィアン・シニフィエ』で働くことになった。
25歳のときだった。

「もうこれしか無い。」という強い気持ちで東京へ向かった。

東京には全く知り合いもいなかったが、仕事が忙し過ぎたのと、新しい環境が新鮮だったのとで、今度はさみしいと思うヒマさえ無かった。

『シニフィアン・シニフィエ』で5年間修行した後、満を持して神戸に凱旋。

次回は、サトコさんが神戸に帰ってきてから今に至るまでのお話しです。

どうぞ、お楽しみに!

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編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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