神戸国際大附属・津嘉山憲志郎 ”高校入学時からできていた「覚悟」”

高校野球

ケンシロウへ。
プロ入りおめでとう。
あなたに出会ってお話を聞かせてもらったことで、たくさんの気付きと学びがありました。
今からそのことを書くので、読んでもらえたらうれしいです。
それとね、私はあなたのことを「ケンシロウ」と呼んだことはないんだけれど、監督やコーチがあなたを「ケンシロウ」と呼ぶとき、そこにはとても愛がこもっていて、これが1番親愛なる呼び方だなぁっていつも思ってたから、失礼ながら今日は私も心からの愛を込めてこう呼ばせてもらいました。

トミージョン手術後3ヶ月のときに初取材

津嘉山憲志郎くんに初めて会ったのは、今年の1月29日だった。

極寒の中、神戸国際大附属のグラウンドで出会った津嘉山くんは、頬を赤く染めたどこかまだあどけなさの残る男の子で、今まで抱いていた「プロ注目のエース」のイメージを覆されるような、ホッとするような、とにかくそんな第一印象だったが、話を聞いてみると、「プロ注目のエース」たるものかくあるべき、と新たな基準を持たせてくれた、とんでもない選手だった。

    津嘉山憲志郎

  • 2006年7月24日生まれ。
  • 沖縄県沖縄市出身の18歳。
  • 美東中学校から神戸国際大附属高校に進学。

琉球からやってきた本格派右腕として入学当初から騒がれ1年の時から頭角を現すも、2年秋にヒジを痛め、2023年11月にトミージョン手術(肘関節の内側側副靭帯を移植再建する手術)を受けた。

初めて彼に会ったときは術後3ヶ月になるところで、まだ投げることは全くできていない状態だったが「医師からはピッチャーとして夏を迎えることは難しいと言われています。夏は野手としての復帰を目指していますが、国体まで出られたら僕が投げれるから、色んな人に恩返しができるように、この夏は絶対甲子園に行きたいです」と、穏やかながらも迷いのない表情でこう話していた。

これを本気で思ってスッと言えるからこそ、彼は「プロ注目のエース」なのである。

にこやかに話してくれる津嘉山くんだが、体の内側から溢れ出ているエネルギーがとても強くて大きくて、私は親子ほども年が離れているこの少年の桁外れの精神力にすっかり圧倒された。

目の前のスーパーサイヤ人のようなエネルギーに気迫で負けるような形で、思わず、一旦話を変えた。

沖縄で同じ街に住んでいた縁

少し沖縄の話をしようじゃないか。

津嘉山くんが生まれ育った沖縄県沖縄市の泡瀬という町は、実は私も住んでいたことがある。

ただ、自分がなぜここに住んでいたのか、ずっと不思議だった。それもたったの2ヶ月という短い期間。

これについての答え合わせを、私は津嘉山くんと話す中ですることができた。

これを書くため。津嘉山くんの記事を書くためにかつての私は、あの町の空気感を肌で感じるためだけに導かれたような気がした。

そのとき、津嘉山くんは美東小学校の6年生。

一時期同じ町で暮らしていた私たちが、今こうして神戸国際大附属のグラウンドで出会った。

「私も泡瀬に住んでたことがあるんですよ」と言うと、「え!ほんとですか!?」と津嘉山くんはパッと顔を輝かせた。

親元を離れて寮生活を送る高校生にとって、ふるさとの空気を知る人と話した一瞬が、少しでも温かいものを残せますようにと願いながら、私たちはしばし沖縄の話をした。

マンタ公園。パヤオ漁港。
私たちは神戸市の垂水区で話していたのに、なんだかあのゆったりとした沖縄市の泡瀬で邂逅しているかのような不思議な感覚に包まれた。

年末に帰省したときには、美里工業で野球をしている親友とライカム(北中城村にある複合商業施設)にご飯を食べに行ったこと、実家に帰ったらお母さんが作ってくれるソーキそばとゴーヤーチャンプルーを食べるのが楽しみなこと、沖縄で好きな場所は古宇利島のビーチであること。色んな話を聞かせてくれた。

「どこのお店の沖縄そばが1番好き?」と聞いたら、「名護の我部祖河食堂のソーキそばです!」とすぐに返ってきた。

「プロ注目のエース」が、「泡瀬の少年」の顔をのぞかせた瞬間だった。

神戸国際大附属を選んだ理由と、その時点でしていた覚悟

津嘉山くんは7人兄弟の6番目で、4人の兄も県外に出ていることから、「自分も県外に行きたい」という気持ちが強かった。

中3のときに初めて行った甲子園で、神戸国際大附属と北海高校の試合を見て、「応援も好きになったし、サヨナラで勝った粘り強さもいいな」と思い、神戸国際大附属への進学を決意。

県外の高校に行くと決めた瞬間から「本気」になり、関西の子に気持ちで負けないようにと強い思いを持って海を渡った。

おそらく、この時点ですでに覚悟のレベルが違ったのだろう。

高2秋には主将に任命され、名実ともにチームを引っ張る存在となる。

「声を出して引っ張るタイプじゃないので、僕は姿で引っ張っていく。自分がしっかりやってればみんなついて来てくれるので」と落ち着いて話す様子は高校生離れしていて、精神的な成熟ぶりに驚かされた。

トミージョン手術については「絶対に良くなる手術。そこそこ投げるピッチャーならいずれは受けることになるので覚悟はできてました」と語っていた。

プロ野球選手になるための「意識」

6月11日に最後の夏を目前に控えた津嘉山くんと再び会って話をした。

冬場に会ったときよりも3キロ痩せて精悍な顔つきになっていた彼に、もうあどけなさは残っていなかった。
リハビリは順調で、ちょっとずつキャッチボールもできるようになっていた。

このときは「なぜそんなに大人びた考え方ができるのか?」を重点的に尋ねたのだが、「そうじゃないとプロにはなれないですから」と答えていたのが印象的だった。

1.2年のときは気持ちのアップダウンもあったが、田中コーチから「きついときこそ自分の本性が出る」と言われ、「きついときこそちゃんとやろう」と思った。

それ以来、気持ちの波もなくなり、「やる気が出ないようなことは一切ないです」と爽やかに言った。

本気でプロ野球選手を目指している高校生というのは、こんな風に考えるのかと感心していたが、コーチ陣は「ケンシロウが特殊なんです。こんな子はなかなかいませんよ」と口を揃えた。

田中コーチによると「本当に意識が高くて、寮の夕食が終わってからもフリースペースで毎日欠かさずストレッチをしてますし、寮の起床時間は6時なんですが、ケンシロウだけは毎朝必ず5時半に起きて寮の前で体操とランニングを1日も欠かさずしています。ケンシロウがやってるんだから僕もやらないわけにはいかない!と一緒に起きて外に出るんです」

津嘉山くんが「寮にも毎日コーチのどなたかがいてくれるから環境には困らないので」と言っていたのはこういうことだったのか、と思った。

津嘉山くんの口からは監督やコーチへの恩義や感謝が頻出する。
それもすごく心が込められているので、あとからコーチの方々に「津嘉山くんがこんなこと言ってましたよ」と伝えると、「ケンシロウ、そんなこと言ってましたか」と皆さんジーンとされている。本心からの言葉は人づてにも伝わるんだなぁと大切なことを教えられたような気がした。

指導者との深い信頼関係

田中コーチは「1年生のときに衝撃的なデビューを飾って、沢山の人に楽しみやなぁと思われてる中ケガをしてしまったが、苦しい表情や態度は人前で一切見せなかった。ケンシロウには、これから羽ばたいてほしいです!」と今の思いを話してくれた。

女子マネージャー以外は今も男所帯の神戸国際大附属だが、今回、「ケンシロウ」の取材を通じて、指導者と選手の間に流れる温かい愛情がよく感じられ、神戸国際大附属は本当に良いチームだな、と改めて実感した。

何よりも、トミージョン手術を受けたら高校野球の間は復帰できないとわかりながら、津嘉山くんの将来を大切に考えて判断をされたところがすごいと思う。

最後の夏、チームは準々決勝で敗れてしまったが、代打として試合に出場し、ヒットも打った。
春も夏も、試合前のノックではボールボーイも務めた。
今自分にできることでチームに貢献するという強い気持ちを感じた。

津嘉山くんにとってのトミージョン

トミージョンについて「絶対に良くなる手術」と津嘉山くんは言っていたが、彼にとっては本当にそうだろう。

そもそも1974年に始まったトミージョンの歴史は、ピッチャーの執念の歴史でもある。

「絶対良くなりたい」人たちの症例が半世紀も溜まっていって進化してきた医療技術なのだから、良くならないわけがない。

私は今回の取材をするまで、トミージョン手術はもとより、選手がケガから復帰する過程というものに無知だったが、今回初めて目の当たりにして、1番重要なのは本人の意識なんだとよくわかった。

実年齢はあまり関係なくて、精神年齢の方が大切で、津嘉山くんは高校生離れした成熟した精神を持っているから、この先、華々しく復活する姿が容易にイメージできる。

それは彼自身が本気でそう思っているのが伝わるから、周りも心からそう思えるのだろう。

人間の意識というのは不思議なもので、「どんどん良くなっている」と本気で思っていたら、脳がそっちに向かっていこうとするので本当に良くなっていくものだ。

普通だったらすぐに「そうはいっても」 「そんなに簡単じゃない」と思ってしまいそうなものだが、そこは”プロ注目のエース”、思考の使い方が普通の人ではないのである。

津嘉山くん本人が自分の未来を明るく思い描けているのに、そうならないはずがない。

これはどこの指導者の方も仰ることだが、良いマインドを持って前向きに取り組む選手には、必ず良い結果がもたらされる。

脳科学でもこれは実証されているので、人間の意識の力には無限の可能性があるのだ。

プロ野球選手になるために生まれてきた

田中コーチは「もしかしたらね、ほんとは1人で泣いてた日もあったかもしれない。でも、人前では全くそんなそぶりを見せないなんて、普通なら高校生にできることじゃないですよ。ドラフトかかったら、僕、絶対泣いてしまいます」と言っていたが、津嘉山くんの覚悟は高校に入る時点でここまでできていたと考えても不思議ではない。

プロ野球選手になるような子は、脳の構造がそうなれるだけの仕様に作られているのかもしれない。
それは生まれ持ったものであり、きっと天からのギフトでもあるのだろう。

表面的には常に穏やかな津嘉山くんに「好きな曲は何ですか?」と尋ねると、「安室奈美恵のFinallyです」と教えてくれた。

あとから歌詞を見てみたら、いつもブレずに穏やかな津嘉山くんの内側には、やっぱり燃えるような熱い思いがあったことがわかり、少し泣いてしまった。

悔しい思いもたくさんしただろうけど、Finallyの歌詞を借りると、決して諦めなかったあなたの「願い続けた日がついに今スタートを切ったの」。

これからプロの世界で思いっきり羽ばたいて。
神戸国際大附属の指導者の方々も、そして僭越ながら私も、神戸からずっとずっと、そう祈っているよ。

神戸に来てくれてありがとう。
17歳のあなたに出会えて、うれしかったです。

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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