広陵高校野球部・中井哲之監督の〝仁義ある戦い〟

インタビュー

広陵高校の中井監督に取材に行くことは、webマガジンを初めてすぐの、去年の初夏から心に決めていた。

シーズンオフになったら必ず行こうと思っていたので、広陵の夏の戦いぶりもくまなくチェックしていた。

ところが7月20日、広島大会3回戦で、優勝候補の筆頭だった広陵が、英数学館に2対1で負けてしまった。

毎年、どこかの地方予選で必ず起きる「大番狂わせ」だが、広陵がこのまましおしおと勢いを失くすとは、とても思えない。むしろ皆さん、燃え盛っていらっしゃるだろう。

「シーズンオフまで長くなりそうだな」という予感は的中し、秋季大会の結果を時折チェックする度に「広島大会優勝」「中国大会優勝」の文字が躍り、結局、秋の全国大会である明治神宮大会で準優勝して「センバツ当確」というところまで快進撃は続き、広陵の秋は明治神宮大会の決勝相手である大阪桐蔭と並び、全国最長の11月24日まで続いた。

中井監督の取材をとりつけるまで

さてもさてさて、ここまで勝たれてしまうと、無名ライターの私にとっては、行きやすいのか行きにくいのか最早わからない。

考え込んでしまうと尻込みするだけだし、センバツ決定後は取材が増えてお忙しくなるだろうしと、1月も10日を過ぎた頃、心を無にして広陵高校に電話を掛けた。

「はい!広陵高校です!」

おそらく野球部関係ではない先生の元気な声に勇気をもらい、中井先生に取材をしたい旨を伝えた。

「承知しました!それでは野球部長に代わります!」

どうやら中井先生ご本人ではなく、野球部長の先生と交渉をしなければいけないようだ。第一関門。

対面でお話するのは得意な方だけど、ただでさえ電話は緊張してしまうのに、ご本人とお話しできないなんて「これはちょっと自信が無いな」と、たじろいでいたら、野球部長の上田さんがお電話口に颯爽と現れた。

「今回は、どういった内容の取材でしょうか?」

あたふたしながら「あの、webマガジンをしているんですけれども!ずっと中井先生とお話ししたいと思っておりまして!えっと、一応、高校野球の監督の取材をしていて!あ、神戸のwebマガジンなんですけど!」

支離滅裂もいいところだ。

「わかりました!中井に伝えて、また改めてご連絡させて頂きます!」

これでニュアンスをわかってくれた上田さんは本当にすごい(笑)
上田さんの声からほのぼのとしたものを感じ、悪くは取られていないことがなんとなく感じられ、ホッと胸をなでおろした。

切り際に「あの、本当に昔から中井先生と1度お話ししてみたいと思っておりまして、兵庫県以外の監督さんインタビューの初回は、絶対に中井先生にお願いしようと思ってました!ゼヒよろしくお願いします!とお伝えください!」とパッションだけは表明して、再度の連絡を待った。

次に連絡があった時、今度はコーチの加藤さんからのお電話だった。第二関門だ。
「どういった内容の取材でしょうか?」
と再び聞かれ、また支離滅裂にパッションだけを強調しながらお伝えすると
「わかりました!それでは日程を調整して、再度ご連絡させて頂きます」

加藤さんも理解してくれた。広陵のコーチ陣、すごすぎる(笑)しかも加藤さんも、ものすごく感じの良い人だった。
この時も「あの!中井先生に、ゼヒ!よろしくお願いしますとお伝えください!」と、ひたすらにパッションだけは強く表明させて頂いた。

広陵高校は、約束を違えるようなチームでないことは存じ上げていたので、この時点でもう安心だと心の底から安堵した。

翌日、再び野球部長の上田さんからお電話を頂戴し「来週の木曜日の14時からでお願いします。場所は監督室です」と確定の連絡をもらうことができた。

1週間後、中井先生にお会いできる!

野球の話はしないインタビューをする

実感が沸かないまま、とにかく体調管理に気を付けながら毎日を過ごし、中井先生のお人柄は色んなところで見聞きして、ある程度知ってるつもりだったけど、念には念をと本屋に走って中井先生のセオリー本を買い、熟読してから臨んだ。

読みながら、何度も涙した。
中井先生が中井先生たるゆえんが、そのブレなさが、素晴らしすぎて感動した。

ただ、中井先生の逸話はすでにたくさん書かれているし、私がそれよりも良いものを書けるとは到底思えないので、今回は野球の話をメインにするのはやめようと思った。

当日、中井先生に辿り着くまで

当日、まずは神戸から新幹線で広島駅へ。

広陵高校の最寄駅はアストラムラインの伴駅。
アストラムラインにも1度乗ってみたかったので、それにもワクワクしていた。

アストラムラインは、神戸でいうと地下鉄のような、神戸電鉄のような、中心部からベッドタウンの住宅街へと行き来するために作られた路線であることが車窓から感じられた。

伴駅に近付くにつれて、山を切り開いて開発された新興住宅地が広がり、広陵高校もそんなのどかな場所にあった。

伴駅を降り、部長先生に教えられた通りにローソンの横を上がっていくと、階段があった。
階段からはもう広陵高校の敷地内だ。

1段1段、敬意を込めて踏みしめながら登ると、すり鉢状になった野球部のグラウンドが見えてきた。

中井先生まで、あと少し。

監督室まで少し迷いながらも、なんとか辿り着き、ドアをノックした。

「僕は野球を知らない」と言う名将

「は〜い!どうぞー!」

中井先生の声だ。
自分の緊張を抑えるため「こんにちはー!初めましてー!少し迷ってしまいましたー!笑」と必要以上にたくさん喋りながら靴を脱ぎ、靴箱に置いたのだけれど、よく考えたら私なんかが監督室の靴箱に自分の靴を入れても良かったのだろうか。

「どうぞどうぞ!お入りください!お掛けください!」と、中井先生はテレビで見るあのまんまの笑顔で招き入れてくださった。

ソファーに座らせて頂き、とにかく中井先生からすると、どこの誰だかわからない私のことを、まずは拙いながらも懸命に説明した。

中井先生とまともに野球の話をするつもりは無かったので、最初から、その旨もお伝えした。

兵庫県内の高校の監督さんとなら、それなりにお話ができると思うけど、私は広島の高校野球事情に詳しいわけでも、ましてや野球経験者でもないので、とてもとても畏れ多いと思ったからだ。

「ですので今日は、トーク番組のゲストに出られたような感じで、気楽にお話して頂ければと思います♪」

そう言う私に、中井先生は「それは助かります。僕、全然野球知らないんで」とにこやかに仰った。

しょっぱなからカウンターパンチ。

「いや、中井先生にそう言われてしまうと、全国のほとんどの監督さんが野球できなくなってしまうと思いますが・・」

それでも中井先生は真っ直ぐな目で「いや、ホントなんです。僕は野球のこと、なんにも知らないんです。だから周りに聞いてばかりいるんですよ」と仰った。

ブレない人だなぁと、のっけから驚かされた。
本に書いてあることを、そのまま話されていたからだ。

一応、断っておくが、甲子園出場、春夏通算20回。
優勝2回、準優勝2回の名将のセリフである。

奥様との馴れ初め

そこから、中井先生と、本当にたわいもない話ばかりをした。

レギュラー以上に「控え部員」を大切にする中井先生の考え方が大好きなこと、嘘がなくて涙脆いところが大好きなこと。甲子園のベンチでいつもニコニコされているところが大好きなこと。
「大好きです!」をたくさん伝えられて、うれしかった。

「練習中はともかく、甲子園みたいな発表会の場では、なるべく笑ってたいと思ってます。でも部員からは『生きるか死ぬかの勝負をしよるのにニタニタせんでください!』って言う子もおれば『そのまんまがいいです』って言う子もおって、色々ですけどね(笑)」

中井先生が「広陵野球部の総監督」と冗談めかして仰る奥様のお話も度々登場するので、思わず「馴れ初めってなんだったんですか?」と伺った。

「女房はね、元々、喋り手だったんです。広島のテレビ局でリポーターをしていて、そこに若手監督だった僕の取材に来た。その時に向こうは『この人、若いのにすごい人やな』と思ってくれたらしいんです。でもその後、夏の大会で負けた直後に、上司からの指示で『今のお気持ちは?』って泣いてる僕にマイクを向けてきた。僕も若かったから『なんじゃコイツ?』と、イラッとした顔をしたそうで。そしたら女房は『なんて失礼なことをしてしまったんだろう。絶対、誤解された』って気にしとったらしくて、次の日に、菓子折り持って謝りに来たんです。『大変失礼なことをしてしまって、ごめんなさい。あれは上司からの指示で、仕事としてしたことで、私の本心じゃありません』言うて、僕だけじゃなく、野球部全体に失礼なことをしてしまったと、部員全員が食べられるぐらいの数のちょっとしたお菓子を持って来た。それで『お、こいつ、できるじゃん!』って感心しちゃって。それがきっかけです」

「それからは女房もすっかり広陵野球部にハマっちゃって、もう部員たちがかわいくてしょうがないんでしょうね。卒業生たちもプロに入ったような子でさえ、僕に用があるときは、まずは女房に連絡してくる。『監督、今日、機嫌いいですかね?』『今日はやめときんさい。どうしたん?』と女房が代わりに相談に乗る。だから、うちの部員や卒業生で、うちの女房のことを『奥さん』なんていうやつは1人もいません。みんな『由美さん』って名前で呼ぶんですよ」

お会いしたことのない「由美さん」の聡明で慈愛に満ちた姿が目に浮かぶようで、すごく温かい気持ちになった。

最近は、女子教育にも力を入れている

そんなお話を楽しく聞いていると、授業を終えた女子マネージャーが監督室に入ってきた。

かわいらしいマネージャーの、ブレザーの背中部分が折れているのを目ざとく見つけた中井先生は「しっぽ作るな!かっこ悪いのぉ!お前はどこのマネージャーや?」と問うた。

「広陵高校です!」と答えるマネージャーに「え?どこ?」と聞き返す中井先生。

「名門、広陵高校です!」と言い直すマネージャーに「そうや!名門がつくじゃろ!(笑)親分誰や?(笑)」

「中井先生です!」

「ワッハッハ!アホか(笑)なんや、コーヒー入れてくれるんか?ありがとう♪」と楽しそうにマネージャーと絡まれ、マネージャーは中井先生と私にコーヒーを入れてくれた。

その間も中井先生は、何の気ない話で女子マネージャーと戯れ、そのままの流れで「で、お前の目から見て、最近だれが頑張りよるん?」と聞かれた。

「◯◯です」
「◯◯か?あいつ、顔は良ぉないのに、野球は頑張りよるんか?(笑)」

「はい、◯◯、すごく頑張ってます」
「ほうか」

すごい。。。
口は悪いのに全く威圧感を与えず、自分のワールドに相手を引き込み、さりげなくマネージャーの意見もしっかり聞き込んでいた。

広陵高校は、今の3年生から女子マネージャーが入るようになり、コーヒーを入れてくれたのは2年生だった。

2021年から広陵高校女子野球部の総監督も務められている中井先生は「これからは女子教育にも力を入れていきたいと思ってます」と仰り、「さっきの女子マネもね、家ではお母ちゃんに『今日、中井先生がああ言うた、こう言うた』ってうれしそうに言いよるらしいんです。うちで預かる以上は、親御さんにも喜ばれるように成長させて、送り出したいですよね」

何気ないやりとりひとつにも、心がこもっているのが、一見の私にもわかるくらいなんだから、日頃からこのように、しっかりコミュニケーションを取っていらっしゃるのだろう。

雰囲気の良い監督室

その後も続々と、色んな人が監督室に入ってきた。

驚くべきは、その全ての人たちが「感じが良い」ことだった。
部員やコーチのみならず、出入りのスポーツ用品店の人まで、誰もが「良い人」だった。

なんだかわかる気がする。
中井先生は裏表の無い真っ直ぐな人だ。
部員は、そんな中井先生を慕って入ってきた子ばかりだし、コーチ陣は、中井先生が信頼を寄せている人しかなれないし、トレーナーやスポーツ用品店の人たちも、中井先生と信頼関係を築けている人しかいないからだ。

広陵の監督室は、互いの「信頼」に満ちた空間だった。

「いつまでも卒業生にとって、帰れる場所で、家でありたい」と仰る中井先生に、教え子でもないのに厚顔無知な私は、最後に、こんなお願いをした。

「中井先生と次のお約束をしたいです。私、来年のシーズンオフまでに『これだけ成長しました!』と言えるようにがんばります。そしたら、1年後、また来てもいいですか?」

「いつでも来てください!」と微笑まれながら、「最初はね、みんな恐る恐る来られるんですよ。なんか敷居が高いイメージがあるみたいで。でも、最後は皆さんホッとして帰られるんです」

「高校野球も、もう戦術を隠すような時代じゃない。見せる時代になってますよね。実際に全国の指導者の方が『練習を見学させてください』と仰られます。でも、うちは特別な練習なんか一切やってません。『それでもよろしければゼヒお越しください』って言うんです。なのにホントに来るからビックリしますけどね!笑」

「でも世間的には、僕の言うことって、あんまり信じてもらえないんです。『きれいごとばっかり言うてからに』と思われる。人間、叩けば多少は埃が出るじゃないですか?『でもワシは出んけぇのぉ』って、いつも教え子らには言うぐらい、僕はずっと本音で生きてます。」

今時珍しいほど筋の通った真っ直ぐなお人柄で、怒るとものすごく怖いけど、決して四角四面じゃない中井先生の絶妙に豪快な居住まいは、まるで神様の化身みたいだった。

〝宮島さん〟ならぬ〝中井さん〟

最後の最後に、中井先生と上田部長に「応援歌の『宮島さん』って、ホントに良い歌ですよね」と話すと、「広島で甲子園が決まって宮島さんに必勝祈願に行けるんは、広商と広陵だけなんよ!」と教えてくださった中井先生。
あなたこそ、もう神様みたいです。
私は教え子ではないので、帰れる家では無いのだけれど、それでも年に1度くらい、詣でに来させてもらいたい。

広陵神社。御祭神は中井哲之。
私にとっては別格官幣社であり、喜ばしいのは、御祭神が健在であること。

これから毎年、シーズンオフになったら詣でに行こう。
あの監督室に入るにふさわしい自分であるかを確かめながら。

「本音できれいごとを言う」ことにかけては、私も自信がありますが、それを中井先生のように「持続する」ことを頑張ろうと改めて思いました。

今回も、行きつけの神社に「インタビューをお願いしたい方がいて、引き受けて頂けるようにがんばります!」と決意表明に行ったのですが、お名前を出すのはズルい気がしたので、神様に中井先生のお名前は出さなかった。

取材が決まり、神社にお礼に行ったときに、初めてお名前をお出しして「ずっとお会いしたかった広陵野球部の中井監督に、お話を聞きに行けることになりました」と報告した瞬間、うれしさのあまり、拝殿の前で泣き崩れてしまいました。

来年も無事に広陵神社に行けたなら、パンパンと自分の身を叩き、埃が出ないのを確かめてから、少し緊張しながら監督室のドアをノックしよう。

監督さんの呼び方問題

今回、広陵高校におじゃましてから、ちょっと混乱していることがある。

私は今まで、高校野球の監督さんのことを「先生」と呼ぶ主義だった。

マスコミ関係の人がそう呼んでいることが多く、私はそれを「良い線引き」だと解釈していた。

「監督」と呼べる領域に私は立ち入れない。
そう思うが故の「先生」呼びだった。

ところが、広陵高校は部員が監督のことを敬意を込めて「中井先生」と呼ぶ。

遠慮のつもりだった、私の「中井先生」呼ばわりが、広陵では、とても失礼に当たるのではないか、と帰り道に考え込んでしまった。

今回の記事内では「先生」と呼ばせて頂いたけれど、今後、監督さんのことは「さん」呼びで統一するべきか。

新たな課題を与えられた気分だ。

編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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