「ほんとに僕でいいんですか?」
まさか科技高の監督の口からこんな言葉が飛び出すとは夢にも思わなかった。
科学技術高校野球部の存在感
神戸市立科学技術高等学校。
神戸工業と御影工業の再編統合で2004年に開校され、JR灘駅近くにスタイリッシュな校舎が聳え立つ。
部活動が盛んで、サッカー部は全国区の強豪校として名高いが、野球部の存在感も捨て置き難いものがある。
再編統合後の科技高野球部は上々のスタートを切り、5年目の2009年夏には県予選の準々決勝まで勝ち上がる。
ひょっとしたら近いうちに甲子園に出るかもしれないと期待していたが、強豪ひしめく兵庫県ではそう簡単にはいかなかったものの、その後も公立の中では頭ひとつ抜けたチームとして一定の地位を確立した。
直近では2022年と2023年の夏にベスト16まで進出している。
思いがけない言葉の理由
科技高の前身のひとつである御影工業とは高校時代から縁が深く、神戸市立科学技術高等学校と名称を改めてからも並々ならぬ興味と関心を寄せてきた憧れのチームのひとつである。
そしてこの度、そんな科技高の監督さんの取材をさせてほしいと思い、とても緊張しながら学校に電話を掛けて取材依頼をした際の、中田雄介監督の第一声が冒頭のひとことだった。
「え?なんでなんですか?」
思わずつっこみがちに聞き返してしまった。
「今年から監督代わってまして、僕、去年まで監督だった中田じゃないんですよ。中田違いとちゃいますか?」
実は科技高、昨年までの3年間は中田大嗣監督と中田雄介部長のW中田で構成されていて、お2人で科技高野球部を強くしておられたことは存じ上げていたので、「大丈夫です、中田違いではありません。まさにW中田のお話が聞きたかったんです!」とパッション全開で答えると、「それなら良かったです。そしたらゼヒ来てください」と言ってくださってホッとした。
取材当日まで電話で数回やりとりをさせていただき、そのときから「なんて話しやすい人なんだろう」と不思議に思っていた。
というのも、野球の指導者はリーダーシップのある男らしくて頼もしい方ばかりがいらっしゃる世界であるにも関わらず、あまり野球界の人っぽくない柔和な雰囲気の方だったからだ。
実物はどんな人なのか、楽しみにしながら当日を迎えた。
日曜日の午前中に、練習試合の前にお時間を作っていただき、私はついに憧れの科技高のグラウンドに足を踏み入れた。
オシャレでスタイリッシュな学校だけど、公立高校らしく他の部活と共用のグラウンドの奥に野球部のスペースがあり、小さなコンテナハウスの前で中田雄介監督が待ってくださっていた。
挨拶を交わしてコンテナハウスに招き入れていただいた。
見た目はがっしりしていて野球部の人らしい感じだが、話してみるとやっぱり柔和だ。
特に言葉の語尾の柔らかさが印象的だった。
「僕は大阪の工芸高校っていうデザイン系の高校出身で、野球部でしたけど夏1勝できたら良かったなぁっていうチームに属してたんです。だから『僕でいいんですか?』っていうのは、ほんとに野球エリートじゃないから」
確かに科技高の監督の経歴としては意外だ。
でも何がどうなって今、監督としてここにいらっしゃるのか、ものすごく興味をかき立てられた。
女子が多い環境で育った建築男子
「中学までは普通に野球をしてたんですけど、その頃に建築に興味を持ちまして、高校は建築系の学科に行きたくて工芸高校に入りました。
クラス36人中23人が女子で、野球部も人数少なくて、今の科学技術とは正反対の環境にいたんですよ」
私が感じた違和感の正体はそこだったのか。
野球界の人は男社会で育っていることが多いので、多くの人は男性性が際立っている中、中田監督は男らしさもあるが女性が多い環境で育った人特有の柔らかさもお持ちなのだ。
この多様性の時代に男らしさ女らしさなどという表現はナンセンスかもしれないが、あくまでも野球の世界はそういう場所であるのでご容赦願いたい。
中田雄介監督は1987年11月29日生まれの36歳。
高校卒業後は近畿大学でさらに建築を学び、一般企業で働いたのち、2012年から科技高で常勤講師。野球部の顧問となる。2015年から神戸市採用の正教諭に。都市工学科で建築土木を教えている。
「この学校に来たときに『部活動なに見れる?』って用紙があって、まぁ野球やってたから野球やなと思って書いたら野球部の顧問をすることになって。ほんで当時の監督から『ここで試合してるから見に来て』って言われてスーツ着て見に行ったら『めっちゃ監督怒ってるやん』って(笑)
僕の高校時代は人数少なくてアットホームな野球部だったので。
『バリ怖いやん。俺、この野球部で顧問するんか?』ってゆーのがスタートでした」
これを聞いて、人生って本当に面白いなぁと思った。
中田監督の場合は「建築」から繋がって野球と結びついているようだ。
こんなパターンもあるんだなと新しい視点を与えていただいた。
科技高で指導者として10年学んだ
「当時の井上監督は長年、17年ぐらい科技高の監督をされてて。僕、その頃からずっとおるんですけど、井上監督は泥臭いというか、特に選手集めてるわけでもない、そういう子らを育てて私学に勝ちたいんやっていう情熱のある方で。なのでうちはスター選手はいないですし、でもなんか急成長してスターになる子もいますし、高校野球ってほんとに見ててそこが面白いなって。めちゃくちゃ上手くなるし、素直な子なんて特に伸び率が高い」
もう10年以上、科技高の野球部を見てこられただけあり、野球の話になると目が輝きはじめる中田監督。
「僕は7期生が3年生のときからいてるので、今では顧問の中でも1番長くなりましたけど、バリバリの野球環境の中にぽつんと入り込んで、井上監督と当時部長だった仁科先生というベテランのお2人に色々教えていただきました。
仁科先生は亡くなられたんですけど、「お前、将来監督したらどうや?」と若いときに言われたことあるんですけど、僕はずっと「できません」と。
やっぱり野球経歴がエリートではないし、指導者としてもまだまだ甘いし、技術面もどこまで自分が教えられるかっていうのと、やっぱり野球をそこまでわかってなかったので。攻め方だったりとか。
だから「僕はサポートする立場で十分ありがたいです」と。
仁科先生にはその後も何度も言われてたんですけど、亡くなられてしまって。
そして井上監督が転勤になってから、前の監督である中田大嗣さんが3年間監督をされて。で、普通科の先生は転勤があるんで『俺はこの代で監督を代わろうと思ってる』と夏の大会が終わったあとに言われて『やっぱり次に監督をせなあかんのは君や』と。僕は『僕じゃない方がいいです。科技高が弱くなっちゃう』って。もうほんまに僕じゃない方がいいし『野球をずっとやってきて野球を知ってる方々が転勤されて来てるから、僕じゃない方がいいと思います』と。
でも前の監督に口説かれて。
『君は科技高にずっとおるから生徒の質もよくわかってるし、俺も君に色々アドバイスもらって指導の方針とかも勉強になったし、君の野球の経歴がどうこうは関係ないんちゃうか』とも言われてて。
井上監督の頃からBチームの監督業はずっとさせてもらってて、今の3年生はBチームからずっと見てきたし、じゃあやろうかな、と。
でも自信はないですけどねぇ。やっててもやっぱり難しいし」
縁があるとはこういうことなのか。
ご本人は「自信がない」と繰り返すが、これだけ歴戦の指導者の方々から推してもらえるということは、野球だけではない人間性に魅力があるのだろう。
「井上先生に今年の3月ぐらいに焼肉食べに連れてってもらったときに『お前なぁ、そんなん経歴とか関係ないねん』とまた言われて。
『科技高に来て、こうやって勉強して、それはお前の野球の経歴としても成長した部分じゃないの?』って。『だから自信持ってやったらええやん。そうやって見て覚えた科技高の野球をずっとやればええやん』って。それを言われて、ちょっとまぁ、そうやなぁって。
確かに井上先生は手取り足取りああせえこうせえっていうわけではなくて、見て覚えろという感じだったんで。
僕はずっとBチームにおったんで、Aチームの監督のやり方を全部はできないけど、やっぱりBチームの子は次はAチームに行く子らですから、そこはちょっと重点的に『上(Aチーム)ではこうやってるはずや』とか選手とコミュニケーション取って、監督とどういう話があったとか伝えながら。でもね、井上先生はサイン変わっても言ってくれないんですよ(笑)それは教えてくれよと思いながら(笑)」
そうか。
中田監督も科技高で育ててもらった人なんだ。
いわゆる弱小校出身の人が、強い野球部で指導者として10年学んだ。
W中田の集大成
「前の中田大嗣監督も面白くてね。
大会前にマスコミにアンケート出さないといけないんですよね。
で、僕がパソコンで打ってまとめていくんですけど。
そのアンケートに『W中田の集大成』て書いといてくれって言われて。
『先生、さすがにこれは恥ずかしすぎる!』って言いました。僕らはわかるけど、これもうマスコミの人らも意味わからんじゃないですか。
それ書いて送ったら案の定、試合終わったあとに監督は『W中田ってどういうことですか?集大成ってどういう意味ですか?』って質問攻めにされてて(笑)
まぁ2人でやってきて、2人で3年間育てた生徒だから集大成ですよって。
そういう2人で考えた面白さと、科学技術の伝統を混ぜながらって感じでしたね。
前の監督とは揉めることもありましたけど、お互いの野球観を話し合いながら3年間ずっと夏の大会入らせてもらいましたけど、すごく楽しかったですよ。
ぶつかったりもしたけど、あぁ確かになぁって勉強になることも沢山ありました」
中田監督のお話は、柔らかさの中に野球部らしいユーモアもふんだんに盛り込まれていて、女性が多い環境で育った中田監督が科技高に来て野球部に入り、体育会系の男社会の中にもしっかり溶け込んできたことが伺えた。
科技高の野球とは
ここで改めて、科技高の野球とはどんなものであるのかを聞いてみた。
「スタイルは少年野球じゃないですかね。
声掛けとかもワイワイしゃべりながらコミュニケーション取ってやるイメージが強いですかね。ダサいって思われてもええねんと。これがうちのスタイルやと。自分らのそういう声掛けによって士気を高めていく。周りがなんて言おうが貫き通せと。
これが高校野球の面白さっていうかね」
「あとは躾ですよね。人間力、人間教育の部分。それが適当な奴はもうほんまに伸びてないですよ。
ほんまに良いもん持ってるのに素直じゃなかったりとか、こういう風にしたらもっと上手くなれるよって話をしても、わかってはいるんだけど周りの友達に影響されて野球に夢中になれなかったり。
よく冬場は「野球に夢中になれ」って言いますね。高校野球に夢中になってくださいと。テストや勉強も大事ですけど、何よりも野球を通じて人として成長してくれたら大人になっても困らないし、可愛がってもらえる人間になれたら良い社会人生活を送れると思うので」
もう1人の恩師
それは中田監督ご自身が体現しておられるように思う。
中田監督には科技高の歴代指導者の他に、もう1人「恩師」がいる。
工芸高校時代の先生だった方で、大学時代から「教員免許」を取っておくようにアドバイスされ、一般企業を辞めてから教員免許を取りに大学に行き直したときも伴走してもらい、科技高を紹介してくれたのもこの恩師だった。
人生のターニングポイントでいつもこの方がキーパーソンとなっていて、今でも年に1回は食事に連れて行ってもらっている。
人に可愛がってもらうことで良い人生を送ることにかけては中田監督こそ第一人者だ。
だが、もう教えてくれる人はいない。
この10年で、きっと大切なことは全部自分の中に宿っている。
これから満を持して中田監督の科技高を作っていく。
最後に
監督としての初陣となったこの夏、科技高は2勝を上げた。その内の1つは強豪私学の三田松聖からの勝ち星だ。
過去最小人数で、入学当初はキャッチボールもままならなかった今年の3年生を、最後の夏にはここまでのチームに育て上げた。
今後も科学技術というチームに注目していきたい。
科技高の卒業生のみならず、御影工業、神戸工業のOBの方々も、どうか今の科学技術を応援してくださいね。
野球エリートではないけれど、科技高で育った青年監督が群雄割拠の兵庫県で、しなやかに頑張っています。
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