島根 喫茶店のマスターが2022年第104回全国高校野球選手権大会について

高校野球

コロナ禍。無数の「イレギュラー」があったなか、同じ数だけ「if」もある。
試合がやれただけでも十分幸せだったんだ、と自分を慰める事もできるが、やれたからこそ味わってしまう辛さもあったろう。

それでも、立川談志の言葉を借りるなら「現実は、正しい」のである。

各都道府県大会では無念ながらも「感染拡大を防ぐため」や「選手が足りない」という理由で、多くの学校が試合を棄権せざるを得なかった。

各県のビッグチームが試合を諦める、もしくは土壇場で登録選手を入れ替えて試合に臨むという事態での県大会。まさかあそこが敗けるなんて、とは誰も思わない。あの投手もこのスラッガー も出ていないのだから。

そんな風に「コロナが無かったら、もっと違った大会になっていただろうなぁ」と思いながら、1回戦からぼんやり気になる試合だけを眺めた。

なんの知識もない只のオジサンからしてみると、「どこにも『エースで4番でキャプテン』みたいな子がおらんなぁ・・・」。なんなら昔は更に追い打ちをかけるよう、「○○君は学校では生徒 会長を務めており」みたいな解説も入ったもんだが。

そもそも現代野球では「4番最強説」というのも薄れており、チーム最高の打者を4番に据える事も減っている。

今回も、最も打てるバッターを1番に持ってきたり、また逆に「この子は『4番』しか出来んやろな」というチームも多く見た。

試合ごとに打順の変化は効くし、むしろその「キャスティング」がこそが監督の妙。打順は試合ごと相手投手ごとに変化させるべきだろう。

しかし「エース」はどうか?
「背番号1」。これだけは、高校野球では絶対に換えが効かないのだ。

高校野球とプロ野球の最も大きな違いは、エースピッチャーの「責任の重さ」。

4番バッターを1番に換えたり、場面次第では長距離砲にバントのサインを出す事もあるだろうが、エースピッチャーに限っては「換え」は効かない。2番手ピッチャーは、スクランブルで「止む無く」登板するだけだった。

プロ野球の「先発陣」とはワケが違う。

常に一回勝負が続く高校野球に、ローテーションなどは無い。チームで最も優れた投手が投げつつけるのが高校野球で、そしてその最高峰が夏の甲子園である。

これまでならば。

1991年、夏の甲子園大会決勝戦。

県大会からずっと1人で投げぬき、ついに甲子園の決勝まで辿り着いた大野倫投手は、マウンドで「ブチッ」という音を聞いたという。その素晴らしい右腕から。

連投に次ぐ連投。
これまでのチームの勝利は、大野倫投手の「ヒジ」との引き換えだった。

「勝利をもたらすためには1人の野球少年の未来を奪うことなんて、なんのためらいもなかった時代の話だわなぁ・・・」、と言い切れないのは、この大野倫投手の同期には松中、ガッツ、番長、そしてイチローという面々がいるからである。

あれほどまでに酷使させなければもしかしたらメジャーリーグでもやれた逸材だったんじゃないか・・・、と思わないではいられない。

ここで「さすがにそれは良くないわ~」とようやく高野連も動き出し、このころから「ピッチャーの肩ヒジを守る」というものへの意識が高まり出す。

ただし時代は、まだまだ「練習中に水飲むな」の指導が当たり前の90年代。本当の改革にはここから30年近くが必要だった。

時代は流れ、甲子園には「優勝」とは別の、もう一つの課題が生まれる。
それは、「どうやって大阪桐蔭高校を倒すか」だ。

大阪桐蔭は、上記した高校野球の難問「エースピッチャーの扱い」を解決する事に徐々に成功し始める。

素晴らしい設備、適切な指導などはモチロンだが、実は殊この問題について大阪桐蔭は「力づく」で解決したようにも思える。

単に「他所ならエースピッチャーになってただろう存在だらけ」のチーム作り、スカウティングだ。

これについて大阪桐蔭は甲子園の悪者扱いされる事も多いのだが、しかしそれはお門違いであると思う。なぜならそこに無理やり連れてきたわけではなく、選手たち本人が大阪桐蔭に行きたいと希望しているからであり、そしてそんな学校作りに尽力されてきた学校経営があるのだから。

そこに文句があるのなら、各学校側も学生にここで野球がしたい!と思わせるような学校つくりチーム作りをすればイイという話。なんなら、一般的な強豪校と呼ばれるような高校よりも部員数は少ない。

勝ち続けながらも選手のカラダを守る、そんな理想を叶えようとするならば、確かにこの方法しかない。当たり前といえば当たり前の戦略をしているだけとも言える。

ちなみに、あの大野倫投手が人生最後の登板となった甲子園決勝の相手、それこそがこの大阪桐蔭高校である。大阪桐蔭が大野倫投手と戦いながらどう感じたかは定かではないが、多少なりとも、その後のチーム作りに影響はあったのではなかろうかと感じざるを得ない。

もちろん、スカウティングというのは大阪桐蔭だけがしているわけではない。
都道府県地方大会、ベスト4に入っている学校で「スカウトなし」という学校はほとんどない。

なかでもまずはピッチャー。
とくに「球数制限」というレギュレーションがようやく出来た今、とにかく3年後に背番号1をつけるに適う選手を「多く」集めなければならない。

切磋琢磨。
という名目はあろうが、実際には高校生の試合なのに「中継ぎ」であったり、なんなら「ショートスターター」という役割を果たす選手もいたりする。

だから「ピッチャー」というポジションをめざす高校生にとって、このスカウティングというエリート集団化は、実はそう「いい事づくし」というわけでもない。

この学校に行くと決めたからには、野球以外は全て捨てる必要がある。しかも、だからといって何かが約束されたワケでもなく、それこそ、「他所ならばエースで4番」という野球人生だったはずが、たった1~2回のマウンドのみ。

いや、なんならそれも幸せな方で、「さぁ3年生になったんだからエースを張ってやる!」と思っていても、昨年U-15でエースピッチャーだった子が入学してきたりもする。

投げることに専念してきた分、バッティングや守備走塁では他の選手を上回るのは難しく、最終的にはベンチにも入れずスタンドから応援という可能性は大いにあるのだ。繰り返すが、「他所の高校なら4番でエース」がだ。

そんなことを思いながら、「そりゃ、4番でエースってのを見ることも無いよな~」「ピッチャーっつーのは、学校選びが相当なギャンブルだなぁ~」なんて、勝手なことを妄想しながら今年の甲子園をぼけ~っと無責任に眺めていたのである。

が、ついに「『4番でエース』を見ない」どころではない事が起きたのだ。

決勝戦。
全国で最も強いチームを決めるこの試合。
優勝したチームは、なんと「背番号1」をこの最も大切な試合で、1度もマウンドにあげる事がなかったのだ。
ながらく高校野球を見ているが、こういうシチュエーションでエースが投げないというのは見た事がない。

大野倫投手がマウンドに上がれないなら納得できる。怪我、疲労、投げられる状態ではないのだから。

そうではなく、万全の状態であっても、「背番号1」であっても甲子園の決勝舞台に立てない。
現状、同じチーム内に「自分よりも状態の良いピッチャーがいる」から。

背番号1なのに。

しかも彼の場合、他の選手とは違う。
他の選手は入学してから2年半をかけてここまできたが、彼は秀光中学校なわけだから、「5年半」以上をこの甲子園にかけてきていたと思われる。

それなのに、マウンドには上がる事が叶わなかったのだ。 エースナンバーを貰えても、それでもマウンドに立つこともままならなくなってしまったのが現代の高校野球なのだ。

ずっと補欠だったので「綺麗なままのユニフォーム」の辛さはわかっているつもりだったが、それでも彼の気持ちは計り知れない。

怪我は減り、選手の安全は守られた。

しかし、その代わりに失ったものも無いわけではない。

優勝しても、悲劇がつきまとう。
それでもそんな甲子園に惹かれてしまうのだから、やはりあそこには「魔物が住んでいる」に違いないのだろう。
*なお、大谷翔平くんの事は無いものとして考えること

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編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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