品格ある名門校でありながら、派手さはなく練習も決して多そうには見えないのに。つくづく不思議なチームである。
「関学」こと関西学院高等部の野球部だ。
全国屈指の高校野球激戦区で毎年数々の死闘が繰り広げられる兵庫県において、関学は常に盤石で揺るぎない存在であり続けてきた。
夏の兵庫大会期間中、ネット速報や新聞で関学の試合結果を見ながら冒頭の疑問を抱くことは高校生のときから25年もの間、私にとって夏の風物詩のひとつだった。
1899年(明治32年)に創部された歴史ある関西学院高等部野球部は、ちょこちょこ谷間の時期はあるものの120年以上もの間、安定した戦績を誇っている。
神戸が発祥の地で現住所は西宮の関西学院は、兵庫県の中でも阪神間モダニズムと呼ばれる独自の文化を早くから発展させてきた地域に136年前からあり、いわゆる良家の子女、子息が通う伝統ある学校である。
そういった類の高校で野球が強いとなると、野球部を強化しているのかと推察するのが一般的だが、関学は昔からそれをしていない。
ではなぜ、学校数が多く高校野球激戦区と呼ばれる兵庫県の中にあって一定の立ち位置を長年キープし続けられるのか。
この関学野球部の顔とも言うべき人がいる。
1990年から2022年まで32年間、母校である関西学院高等部の野球部を率いて、現在は総監督であり関西学院高等部アンバサダーも務めている広岡正信氏(71)である。
甲子園の解説者としてもお馴染みなので、穏やかな語り口に聞き覚えのある方も多いだろう。
32年間で甲子園出場は春、夏1回ずつ。
春は63年ぶり、夏は70年ぶりに聖地の土を踏んだ。在任中の夏の兵庫県予選では優勝1回、準優勝2回、ベスト4が3回、ベスト8が8回と、兵庫県の中で特に野球部を強化していない学校としては異常とも言えるほどの好成績を収めてきた。
そんな唯一無二といっていい存在の関学で長年監督を務め、それ以前は報徳学園の中学、高校の監督も歴任した広岡さんに、この度、ご縁あってお話を伺うことができた。
実際お話ししてみると、テレビ解説で拝見するのと全く同じ穏やかで上品な紳士であり、お噂通り大変な人格者だった。
安定した強さの理由
出場当日、関学の安定した強さの秘密に少しでも迫りたいと意気込みつつ、阪急電車に揺られて西宮は甲東園にある関西学院高等部のグラウンドにおじゃました。
「ありがとう。安定して強いと言ってもらえてうれしいです。それは作戦が手堅いから。と、私は思っています。チーム編成もゲームの進め方も、手堅い」
私のような若輩のライター相手にも、終始丁寧に接してくださった。
「半分軍の秘密もあるんやけど、基本は負けない野球やね。勝つ野球よりは負けない野球。なぜなら肉体面でも育ってきた環境でも、他を圧倒して勝つようなチームじゃないから。
『坊ちゃんには坊ちゃんの意地がある』って私はずっと言ってるんですけど、坊ちゃんが勝つ野球をしたいんです。坊ちゃんと違うと言っても結局坊ちゃんやからね、この子らは。恵まれた環境にいて、至るところに恵まれた後押しがあって。特に今の時代はそうじゃないかな」
勉強も頑張る「坊ちゃん」が勝つ野球とは一体どんなものなのか。
「温室の中でどう勝っていくかというところで、さまざまな作戦が出てくると思うんですけど、いかに練習しないで勝つか。野球以外ではめちゃくちゃ勉強してる子たちなので、その能力を野球に活かしたらいいと私は思うんでね。
私の学生時代はよく練習したから、しんどいことをしたら勝つと思ってました。でも、これはちょっと違うぞ、と」
自身は中、高、大と関西学院で野球部に所属し(大学時代は学生コーチ)、同校の長い歴史の中では少々低迷期ともいえる時期だったが、高校時代は2年連続で夏の県大会でベスト8と健闘した。
「私らのときはまぁまぁ強かったと思います。ただその時は若手の熱血監督のもとで死ぬほど練習して、みんな体壊しまして。
だから厳しい練習も大事やけど、そこまでしなくていいというか、したらあかんというか。特にうちの坊ちゃんたちは。当時はほんと練習しましたよ。部員が少なかったから1人当たりの練習も大変やったしね。そこまでしなくても心の持ちようである程度できるん違うかと思ってました。ある意味、常識を否定しながら生きてたんかな。そのときは一生懸命やってましたけど、もっとこうした方がいいん違うかな?というね」
クリティカルシンキングを養うことを大切にしているこの学校で育った方らしい逆説的な発想から独自の理論を見出し実践してきた。
「もっと練習したら勝てるやんと思われるかもしれないけど、違う。やりすぎたらあかんのです。勉強でもやり過ぎたら絶対ダメでしょ。料理でもお金をかけたらいいわけじゃない。そこの加減やと私は思うんです。野球の強い学校と同じことをしても絶対勝てない。うちの子たちは練習をもっとやらなあかんと思ってますけど、ここへ入学する為の受験勉強のときもこの子たちは遊んでたわけじゃなくて。たしかに相手はその間にものすごく野球をやってきてるわけですよ。じゃあうちは勉強してきてることを活かして、もうちょっと工夫したら勝てるとずっと言い続けてきました」
広岡さんは、さらにこう続ける。
「でもね、安定してるということは見てる方は面白くないですよ(笑)だから私を批判する人は『広岡の野球は、そら勝つわ』と。『あいつキッチリしたことしかせえへんから』って言うんですよね(笑)そう、キッチリするんですよ。ハイリスクハイリターンは取らないですね。まずここはハイリスクハイリターンの学校じゃないもの。かといって広い道をギアをローに入れて10キロで走ってたら怒られるし、調子に乗って上げてしまうとスピード違反で捕まるし、そこの塩梅やと思うんですよね。
意外とみんなそれができないんです、どうしても調子に乗ってしまうんですよ。逆に慎重に行こうと思いすぎてギアをセカンドに入れて走ってしまったりね。そういうことはずっと言ってきたつもりです。ただ今はもう首脳陣も代わったからそんな年寄りチックなこと言ってたらあかんけど、要所では今も伝えてますね」
ハイリスクハイリターンは取らずにキッチリやる。言葉にすると至極当然のように響くが、我が事となると簡単にそうできないのが人の性だが、広岡さんは、この当たり前だけど簡単ではないことに俯瞰の目を持ちながら地道に取り組んで来た。
「今、プロ野球でもセーフティスクイズが流行ってるんですが、なぜかと言うとハイリスクじゃないから。1番にセーフティが来る。つまり安全なんですよ。ましてや高校野球はトーナメントですから、負けたら終わり。だからうちの野球はセーフティ。リスクが伴うのは良くないなぁって。責任が無ければ気楽に言えるけど、責任持ってやろうと思ったら心を込めてサインは出さなあかんでしょ。もちろんヒットエンドランのサインも出しますけど、基本はやっぱりハイリスクは避けたい。だからアベレージで関学は上がっていくんです。ただ、もちろん勝負のときはリスクを取っていかないと勝負になりませんから、切り込まなあかんときは切り込まなあきませんけどね。そこはやっぱりよくタイミングを見てですね。セオリーはわかっておかないとダメですけど、セオリー通りにやるだけなら別に監督もいらないし、チーム作りもいらないわけで」
基本は『セーフティ』で安全に堅実に。時には機を見て大胆に。
〝責任を持ってやっているから心を込める〟と表現されたところに、広岡野球の真髄がほんの一瞬垣間見えたような気がした。
最高の保護者会とOB会
「あとはチームの運営。お金のかかる高校野球を支えてるのは親御さん。うちは客観的に見たら県でベスト8からベスト16のチーム。でもうちの保護者会はベスト8以上だと思います。親御さんの献身的な支えは本当にすごいです。うちが安定して強い理由はもう絶対1番に親御さんの力。保護者会がここまで来るには色々あったけど今では良い形になってて、これは本当に財産だと思います。恵まれた環境の中で親御さんが子供たちに『したいことを思いっきりやりなさい』と。その代わり子供もまたそれに気がついて恩返しというか自分の道を切り開いていくというか、自然とそういう循環になっていくんやねぇ」
「もうひとつはOB会。ありがたいことに私が監督のときはわたしの世代がやってたんですが、今のOB会も実質、今の監督と同年代の40代で回してる感じです。
ほんと口の悪い人がいなくて、皆さん基本スタンスは『金は出すけど口は出さない』。その辺もうちの力になってるんだと思います」
保護者会やOB会の在り方の素晴らしさをこれほど力説する監督さんもそういないが、もう23年も続いている保護者会が野球部の活動報告をするサイト『KGカフェ』を拝見していると、その理由がよく理解できた。関西学院高等部の野球部は、保護者やOBなど沢山の身近な援軍によって支えられている。
「もう1つは、普通は私学の中学・高校って同じ学校なんだけど、うちは校長先生も教師も違う。我々は高校の教員で中学部の先生は中学の教員だから、ほとんどお互い名前も知らないんですが、関学中学部の校長を長いことした安田栄三さんという人がいるんですけど、この人が野球部のOBで私の弟の1つ下。彼が長いこと中学の校長をしまして、それも大きかった。そこから高等部に上がってくるわけだから。今の監督と部長も2人とも中学時代の監督は安田栄三さん。本当に大変立派な先生で、その人の力も大きいと思います」
詳細は後述するが関西学院はプロテスタント系キリスト教の非常に民主的な学校であるため各組織が独自の価値観を持ち、中学部と高等部もそれぞれ独立した存在である中、たまたま野球部OBの縁で好循環が生まれていたのだった。
入試制度の変更も追い風に
さらに関学が安定して強い理由のひとつとして、広岡さんは「入試制度の変更」を挙げる。
関西学院高等部では20年ほど前から従来の一般入試(A方式)に加え、『B方式』という名称の自己推薦入試を導入。
「要するに内申書を重視するようになったんです。中学時代の生活態度が良い子が有利になる入試をしたんです。それから野球部も良くなりました。試験で点数が取れること以上に普段の生活態度がちゃんとしてるって大事だなということで『B方式』が正式な入試制度になったんです。今では慶應義塾高校の入試もうちと同じシステムが導入されるようになりました」
野球での推薦枠こそ無いものの、この『B方式』で関学野球部を目指してやって来る中学生も多い。
初等部、中学部もある関学で、高校から野球部に入る生徒はどれぐらいいるのだろう。
「割合的には1学年30人としたら、中学から上がってくるのが10人ぐらい。あとの20人ぐらいは高校から。だからやっぱり野球をしに来てますね。ただ、野球をしに来てるけど特別上手い子が来てるわけでもなく、ずっと野球をしてた子が来てるだけですが。毎年3人ぐらいは上手い子いますけどね。もちろん勉強もちゃんとやってきてて基本は大体オール4。うーん、オール4ではちょっとしんどいかな」
いくらB方式入試もあるとはいえ、ただでさえ名門校の関西学院は中学部以上に高等部から入る方がさらに難関であるにも関わらず、想像以上に高校から入ってくる割合が多いことに驚いた。
おそらくここに関学野球の強さの秘密が詰まっているのではないだろうか。
野球部のOBにはマスコミをはじめ社会の中枢を担う人材が数多く輩出されており、そのような優秀な人材が集まってくる学校であるという特長から、広岡さんの「野球以外ではめちゃくちゃ勉強してる子たちなので、その能力を野球に活かしたらいい」という言葉の意図が浮かび上がってくる。
野球は頭を使うスポーツであるという特性上、関学の選手が持つ「頭脳」という武器は強力で、少ない練習量で安定した強さを誇るという一見逆説的な手法が有効になっていることに気付かされた。
『勉強ができる坊ちゃんが勝つ野球』を体現できた背景には、第一に広岡先生の大局観によるところが大きいと思われる。テレビ解説のお姿からも推測できる通り、エリート風を吹かせることなく決して他者に不快な思いをさせない傾聴の姿勢と穏やかな雰囲気。元々のお人柄による部分もあるのだろうが、万物を包括するほど視野は広く懐は大きく。その教えは関学野球部に脈々と、そして確実に受け継がれ、3年前にバトンはしっかり次世代へと手渡された。
現在の監督(広岡さんの長男・直太氏)や部長をはじめ多くの首脳陣が広岡さんの教え子であり、さらには関西学院大学野球部から来ている20名を越える人数の学生コーチたちも、みんな広岡チルドレンだ。
「練習試合とかしててもね、うちの指導者たちは大体みんな同じ場面で私と同じこと考えてるから面白いよ(笑)こんな不思議で幸せな人生はないわね」と、広岡さんは柔和な表情をますます綻ばせた。
1番大変だったこと
そんな広岡さんが長年の監督生活の中で1番大変だったこととは何だったのか。
「ここはキリスト教中心の人格教育が第一で完全な平等主義の学校。その中でどれだけ頑張るか。もう本っ当に毎日頑張りました(笑)」
プロテスタントの学校であり欧米的な自由主義の気風を持つ関西学院は、各組織、各部活ごとに文化も価値観も異なっている。
「それぞれ価値観が違うから共有はできないし、関東と関西の味付けの違いと一緒でどっちが正しいとかでもない。ひとつにまとまることを良しとしない自由主義の学校なので、チームのまとまりが大切な高校野球というものは理解されにくい(笑)
最初は教師会で『土日はクラブも休んだらいいやん』と言われる中『いやいや野球の世界は土日もやるんですよ』っていう説明からしたりね」
学校の雰囲気には少しそぐわぬ「高校野球」を、少しでも良い環境でできるようにと願った広岡さんは、それでもなんとかバックアップしてもらえるよう、あらゆる人と良好な関係を育くもうと職員室でも奔走してきた。
現在の広岡さんの柔和で謙虚な人当たりの良さは、もちろん元々の性質もあるだろうが、長年色んな人と調和を図ろうとしてきた尽力の賜物でもあるように感じられた。
「普通は企業でも学校経営でも『選択と集中』で、どのクラブを重点的に強くするとかあるけど、関学はどこまでも平等。全ての部活動がイコール。どれだけ勝とうが甲子園に出ようが、勝ったら『おめでとう』と言われ、負けたら『残念やったね』と言われるだけ(笑)そもそもこの学校は『勝つ』ということに重きをおかないから。でも高校野球は選手権やから『勝ち』を争うわけで(笑)ただ、学校の成績が良いと優遇はしてもらえるので、野球部は学校の中でどれだけ頑張るか。幸いなことに野球部の子は比較的成績が良いのでそこはクリアしてるかな」
広岡さんの言う「キッチリやる」は、野球だけでなく勉学や普段の生活態度まで複合的な意味を指し、B方式入試が野球部全体の向上に繋がったのもうなずける。
就任後、もう一方で奔走したのは選手集めだった。
「その当時の選手は本当に下手でした。要するに誰もうちに野球しようと思って来てなかった。そういう時代があったんです。ソフトボール大会で野球部が他のクラブに負けてたんですから(笑)野球部の大会でも就任から3年負けたんですけど、それ以降は野球をしたいという子が来るようになったので勝てるようになりました。野球をしたい子が来るようになると、次に何が起こるかというと『あの先輩と同じ学校に入りたい』と目指して来てくれる子が増えてきて、悪循環から良い循環に変わったんです」
そうしているうちに前述の入試制度の変更という追い風も吹きはじめ、広岡さんをはじめ当時の首脳陣の努力の甲斐あって関西学院高等部の野球部の地盤は着実に固まっていった。
63年ぶりのセンバツ出場
就任から8年目の1998年の春、関学は63年ぶりに甲子園に返り咲く。
当時のチームは元々の力量は「大したことは無かった」と広岡さんは述懐するが、チームモットーの〝全員野球〟そのままに力を合わせ、秋の近畿大会でコールド勝ちをしたことが63年ぶりセンバツ出場の決め手となった。
ところが甲子園後は勝ち星に恵まれず、夏も久しぶりに初戦で姿を消した。
「選手が自分たちは上手いと思いはじめたんです。最初は下手やと思って一生懸命やったから勝てたんですけど、その様子を見てて『これはもう負けるな』と思いましたね。ちょっとみんな天狗になっちゃってね。ともかく天狗になったらダメです。私の言う『坊ちゃんの意地』はね、坊ちゃんは謙虚にやらなあかんのですよ。普通、坊ちゃんはそれができないんやけど、坊ちゃんが一生懸命やったら強いですよ。恵まれてる坊ちゃんがちゃんと努力するから尊いんです。野球はダメでも勉強はするからと言っても世の中に出たら努力せなあかんのは皆同じ。社会に出てからと同じように野球でも謙虚に一生懸命やることが大事。だから僕は謙虚な野球をしてたつもりやけどね。それでないと勝てないと思います」
春の勝利が逆に油断を生み、夏の敗退へと繋がってしまった。勝利のあとにこそ謙虚さを忘れない姿勢が求められるのだと広岡さんは教えてくれる。これは他のチームでもよく耳にする話であり、関学の「坊ちゃん」に限らずまだ高校生ならむしろ普通ともいえる流れだが、広岡さんが目指したものは、子供たちの将来を見据えた上で、そこを超越していくことだった。
70年ぶりの夏の甲子園
それを体現したのが11年後の2009年のチームである。この年、関西学院高等部は70年ぶりに夏の甲子園出場を決めた。
1915年に始まった第1回大会から最古参の出場校の1つである関西学院の復活は各方面から喜びの声が湧き上がり、大変な盛り上がりを見せた。
長丁場になる兵庫大会を勝ち抜くというのは、体力はもちろん、精神力も問われてくる壮絶な激闘の末であり、それを成し遂げるチームというのは、一体どの時点から例年のチームとの違いが表れてくるものなのか。
「もう最初からやねぇ。やっぱりこの学年は違うかったね。まずキャプテン(窪大介さん)がしっかりしてました。彼は高校から入ってきたんですが、ここに来るために中学の野球部を辞めてまで受験勉強に励んだような子。この学年は本当にキャプテン中心にギュッとまとまってた。だからほとんど負けてませんし、練習試合でも報徳に勝ってて、夏の兵庫大会でも5回戦で報徳と当たりましたけど、まぁ勝つとは言い切れずとも絶対良い試合はすると思いましたが、結局5対4で勝ちました」
あの夏、関学の選手たちは一戦一戦を全身全霊で戦い抜いた。強豪を倒すたびに高まっていく期待と重圧。だがチームはブレることなく、その後も準々決勝で神戸弘陵に3対2、準決勝で滝川第二に2対0、決勝では育英を4対1で破り、県内の強豪校相手に接戦をものにしながらチーム一丸となって掴んだ70年ぶりの夏切符だった。
「2009年はそういうチームでした。あれはモデルチームやねぇ。1998年はほんと下手でしたけど一生懸命頑張ったから甲子園に行けたと思います」と広岡さんは振り返る。
ひとつにまとまることを良しとしない欧米的自由主義の関西学院で、チーム一丸となって甲子園にまで出場した野球部の価値観は学校の中では異質だったかもしれないが、広岡さんは関学のお家芸である逆説的なクリティカルシンキングをもってこれを実現させた。
「1998年のとき、その1つ上の学年は夏ベスト8やったんですけど、めちゃくちゃ強かったんです。ところが1998年のチームはめちゃくちゃ弱かった。でも結局そっちが甲子園まで行ったんです。報徳中学で監督したときも、全くダメだったチームが県大会で優勝して近畿大会でも優勝したんですよ。その1つ上はドラフト2位でプロに入ったピッチャーがいて強かったんですが、この時は県大会でも勝てなくて。1つ下は見たことないぐらい弱かった。でも、その子たちが力合わせたら勝つんですよ。これはもう本当に野球の不思議」
前年が強かったからといって翌年も強いとは限らない。1998年のチームは、前年に比べると「本当に弱かった」と広岡さんは言うが、全員が謙虚に一生懸命やったからこそ、甲子園までたどり着けた。反対に役者が揃った世代が勝てないこともある。これが野球の不思議であり面白さでもある。
「だからうちと同じように歴史の古い神戸高校や長田高校や兵庫高校が諦めずに頑張ってるのはそういうことなんですよね。勝ち進むとOBやOGをはじめ関係者は喜ぶ。そら上手い子を集めて勝ったらそれだけの話ですが、私は野球はそれ以外の要素があると思うんですよ。特に日本の高校野球はアメリカのベースボールとは別物で、そもそも学校体育の一環で学校を背負ってやってるわけで。もちろん良い選手を集める学校もあっていいんだけど、基本はおらが町のおらが高校が頑張るというね」
日本の野球文化の歴史
そして高校野球の特異性を語る上で、日本の野球文化の成り立ちにも触れておきたいと広岡さんは貴重な話を聞かせてくれた。
「日本の野球の歴史は長いから、1番最初に始まったのは早稲田と慶応の早慶戦。プロ野球ができたのはもっと後で、最初は職業野球というのは低く見られてた。兎にも角にも大学野球やったんですよ。今度は中等野球、今の高校野球が始まって人気が出てきた。その後プロ野球ができて職業野球はちょっとという感じで見られてましたが結局それぞれ発展していって。ただサッカーと違って統一団体が無いからルールは全部違うし、高校野球だけ異様に人があふれ返って。そらもうありがたいことやけど、変といえば変やし。でもそれが日本の歴史なんです。所詮は高校のスポーツやけどNHKが完全中継して主催は新聞社で記者はそこが登竜門でやってて全紙が取り上げて。批判もありながらも、もう歴史的にそういう土壌なんですね」
私も常日頃から感じているが、日本の高校野球とは本当に不思議な文化だ。高校生の一部活動の大会にマスコミが先導して多くの人々が熱狂する姿は冷静に考えると異様ともいえる光景だが、歴史的観点から見ても日本人は純粋に高校野球を好む傾向にある。それは無意識にDNAレベルで染みついている東アジアの風土に根付く儒教的な道徳心による整然とした礼儀正しさに好感を抱く思いから来る「応援」という祈りに近い感情であったり、もっと単純に誰にでもある故郷を想う気持ちであったり、日本人の心の琴線に触れやすい高校野球は世紀を超えて尚、この国で愛され続けている。
関学野球部のスタンス
「甲子園に行けたら最高やけど、行けなくてもそれを目指して『今年も関学がんばってるなぁ』と思っていただいたら私はもう十分だと思います。うちにいるのは本当に普通の子ばかり。でもね、私は普通の子がやれるから高校野球って人気があるんだと思うんです。だから歴史の話もちょっとしたけど結局そこを引っくるめてやっていかないとね。高校野球の良さは勝ったからオッケー、負けたからダメでは無いところ。そう思うとうちの学校みたいに勝ったら『おめでとう』負けたら『残念やったね』って、これはある意味どこまでいっても正攻法なんですよね。つまり、強化策に走らず、予算を沢山つけるわけでもなし、別に減額するわけでもなし。いじめられてるわけでもなし、かといって贔屓されてるわけでもなし(笑)完全にフェア、平等というね」
儒教的要素を持つ高校野球と、キリスト教的自由主義の関西学院という、一見すると相反するように見えるものが意外にうまく融合した形だ。
最後に広岡さんはこんなことを言っていた。
「普段から堅実にやって安定して強くて、それで上昇気流に乗って上がっていく。私はずっとそれを言ってきました。最初から上昇気流に乗ろうと思ったら絶対ダメ。堅実に力を蓄えていって、勝負するときに勝負する。うちのバランス取れた坊ちゃんたちはそんなに爆発的な力は無いからこそ、堅実にやっていかないと」
普段から堅実にやって初めて上昇気流に乗れる。
私が高校野球を見るようになった頃と今で1番大きく変わったのは、少子化やネット社会の拡大の影響もあり、今の方が子供たちが丁寧に育てられるようになったことだと思う。昔は野球一辺倒だった強豪校も今は勉強も軽んじない傾向にある。高校野球界は「文武両道」という始まった当初に掲げられた理念に今再び舞い戻り、本来の在るべき姿に近付いていこうとしている。広岡さんが数十年前から関西学院高等部で取り組んできた野球部の在り方は、非常に時代を先取りしたものだった。関西学院高等部の野球部には、これからも歴史の泉の水しぶきを豊かに浴びながら、兵庫県で唯一無二の存在として凛と在り続けてほしい。
最後に
広岡さんのお話を聞いていると、手塚治虫の『火の鳥』を彷彿とした。
一見抽象的な、それでいて普遍の人生訓を学ばされるあの感じ。
それはまるで広岡さんの全身に詰まった膨大な知識と経験が体内で長い時間をかけて熟成され、ご自身の中に銀河系のごとく広がっているものを「あ、あれも」「そうそう、これも」と取り出してきては瞬時に「言葉」に変換して教えてもらえているような感覚だった。
ご苦労も沢山あったのは想像に難くないが、広岡さんはどんなお話をするときも楽しそうで、大変だったことでも言葉の最後は「だからほんとに面白かったね」と締めくくる。
それも取ってつけたような言い方ではなく、心底そう思っている感じの「面白い」だったのが印象的だった。
人は困難に直面したとき、自分を苦しめるその一点しか見えなくなり視野が狭くなりがちだが、どんなときも冷静に俯瞰し逆説的に考えていくことで逆境を抜け出して来た広岡さんの生き方から見習うことは多い。
「ありがとう。別に私だけやなくて人からこうやって話聞いたら学ぶとこいっぱいあると思うんです。みんなミックスしたら財産が次へ次へ行くからね。それは良いよなぁ」
なんだか今回、私にとって中学生の頃から雲の上の存在だった広岡さんと直接お話できたことは、大袈裟ではなく歴史上の偉人にお会いできたような感動を覚えました。また、想像以上に深く、圧倒的な人生経験を語っていただけて本当に光栄でしたし、広岡さんのような方が今もなお総監督として高校野球の現場にいてくださっていることを本当にうれしく思いました。
最後になりましたが、今回、ご近所付き合いのご縁から広岡さんをご紹介いただいた、かつて伊丹北や尼崎小田を率いた後藤博雄さんをはじめ、取材の途中から同席してくださった高谷昌樹副部長、そしてすべての関係者の皆さまに、心より御礼申し上げます。
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