【東亜学園・上田総監督〝関東で続けた関西野球が7年ぶり決勝へ“】

インタビュー

東亜学園。
20年ぶりにその名を聞き、高校時代の東洋大姫路グラウンドの情景が鮮やかによみがえった。

東亜学園の総監督を務める上田滋さんは、東洋大姫路の前監督である藤田さんの高校・大学時代のチームメイトで、かつて東亜学園と東洋大姫路は毎年恒例の練習試合をしていた。

藤田さんの取材を東亜学園のグラウンドでさせてもらうことになり、その際に藤田さんからご紹介いただいたのが上田さんだった。

上田さんとは初対面ながら、東洋大姫路グラウンドでの練習試合は見学させてもらったことがある。

すごく懐かしいのに、よく考えたら私は東亜学園のことを何も知らない。不思議な感覚だった。

一応事前に予習はしてきたものの、1980年代に3回甲子園に出場していることと、グラウンドが狭いという情報ぐらいしかわからなかった。

正直に「何も知らなくて申し訳ありません」と先に謝った上でお話しを聞かせてもらったのだが、ものすごく良い人で快く東亜学園のことや東京の高校野球事情を教えてくださった。

軽妙な標準語の語り口からは総監督という威厳や圧は皆無で、とても楽しくお話しを聞かせていただいた。

東京の高校野球には当番校というシステムがある

部員数は80人(2023年6月時点)。
この日は武田監督とレギュラーメンバーは練習試合に行っていて、グラウンドにいたのは1.2年生が中心。

「ここでは試合ができないので全部ビジターで行くんです。確かにそれは大変だけど環境的に辛いなって気持ちはそんなに無いです。うちは環境に恵まれてはいませんが、東京では恵まれてるチームの方が少ないですから」

東亜学園は中野区の校舎とは別に小平市にグラウンドを持っているが試合ができるほどの広さは無い。グラウンドの目の前には大きな幹線道路があり、付近には商業施設や民家が立ち並ぶ。

「東京は当番校ってのがあってね。帝京とか日大三高とか東海大菅生とかグラウンドを持ってる学校で秋の大会の1.2回戦をやるんです」

「当番校は24校あって、これは固定。当番校同士は当たらないから、シードみたいなもんなんです。我々みたいな学校は抽選でどこに行くことになるかわからないんです」

「だから初戦で日大三高と当たることもあれば早実と当たることもある。その24校以外でちゃんとしたグラウンドを持ってる学校はごくわずかですね」

秋の東京大会は西も東も関係なく、抽選で24ブロックに分かれて序盤を戦う。

春と夏の東亜学園は、2013年の地区割り変更以降、西東京から東東京に移っている。

東亜学園を兵庫県の高校で例えると?

東亜学園の東京での立ち位置を掴みきれていなかったので「兵庫県で例えると、どの学校に近いですか?」と尋ねてみると、兵庫県出身の上田さんは「うーん、あそこじゃないし、あそこも違うなぁ〜」とものすごく考えてから「うちは甲子園出場3回、都大会準優勝3回ですから、市立尼崎みたいな感じですかね」と当てはめてくださった。

「常に先頭グループにいるわけじゃないけど、ちょこちょこ良い選手がいて、普段からそれなりのチーム。だから日大三高とかも、うちと当たると嫌がるわけですよ(笑)」

なるほど。おかげで一気に手に取るように理解できた。

「他校の監督からうちのイメージを聞くと『嫌な相手』だと言われますね。
試合に行くと嫌がられるんです。『なんでよりによってうちと当たるの?』とか『上田さん、なんでなんだよ!?』って、大体いつも言われてます(笑)」

とても明るいお人柄で、冴えたトークで盛り上げてくださった上田さん。自分のチームの力量をこんなにもウイットに富ませながら伝えられる巧みさに感服した。

東亜学園以外に、二松學舎大附属、國學院久我山、日大鶴ヶ丘など錚々たる面々が同じように当番校ではない強豪として存在する。
東京の層の厚さを実感した。

かつては都内で最初の「体育コース」があった

東亜学園は大正13年に東亜商業学校という私立の男子校として創立。
昭和41年に普通科が作られ、昭和45年には体育コースを設置。
上田さんのお話しでは、体育コースができたのは都内でも1.2の早さだったそうだが、2017(平成29年)に体育コースは廃止されている。
現在は男女共学。

「野球に力を入れながらも、なかなか勝てなくてベスト8を超えられず、ちょっと低迷してたときに私が就任したんです。
来たときは『そこそこ良い選手がいるな』って感じでしたよ。悪くないなって」

上田さんは兵庫県太子町出身で、東洋大姫路では主将で4番。
東洋大に進学し、その後3年間は東洋大牛久の監督を務め、27歳のときに東亜学園の監督に就任。現在は総監督として40年に渡って東亜学園で指導にあたってきた。
20年以上に渡って高校野球の育成と発展に貢献した指導者に贈られる育成功労賞も受賞されている。

関東と関西の野球の違い

「僕は兵庫県出身で、東洋大姫路で甲子園へ行って、東京の子はすごいなと思いましたよ。
かっこいいんですよ、みんな。野球でも垢抜けててかっこいいんです。派手なプレーが上手くてね。関西野球の方が基本に忠実で泥臭い」

高校野球って、そもそも基本に忠実で泥臭く守り勝つものだと思っていた。

「関西の人はそう思うでしょ?
関東は違います。バッターは常に引っ張って長打、詰まってセカンドゴロでランナー進めるみたいな野球はやらないんです。
だからこっちで関西野球をやったら勝てるようになったんです。泥臭ーく1点取るぞって、体の正面で捕れよって。そうやったら勝てるようになりました」

「僕らはそうやって教えるんですけど、関東では強い学校ほど点差が離れたらもうめちゃくちゃ打ちます。でも、甲子園で競ったときは弱いんです。甲子園で見てるあの通りですよ。
関西のチームは競ったら強い。でも関東のチームは個人の能力も高いし、ちょっと打ちだしたら、めちゃくちゃ打つ」

「例えばノーアウト1.2塁、関西だったら3番だろうが4番だろうが、もうここは送りバントだって場面でも関東はそのまま打たせて1発を狙う。それで点が入ったらもう一気にいけるわけです。そういう考えを持ってる。
関東の強いチームで守り勝ちするチームはほとんど無いです。もちろんある程度は守れるしピッチャーもいるんですけど、守り勝ちってのはない」

「ピッチャーも関西の子は低めを丁寧に投げて、変化球でゴロを打たせて、正面で取ってアウトにしようとする。
関東は速い球を投げようとする。もしくは今流行りの落ちるボール。
打たせて取ろうとかは無い。
どっちかっていうと三振狙いのスピード重視」

「うちに入学してきたばかりのピッチャーに『ピッチャーにとって1番大切な要素はなに?』って聞いたら、10人が10人とも『スピードです』って答える。シニアの時からそうやって教えられてるから。
『あぁ、スピードな、大事だよな。でも違うだろ、1番はコントロール。ストライク入んなきゃいけないんだ。2番目は球質。球の伸びとか変化球の曲がりとか。あとはマウンド捌き、牽制、フィールディング。最後にスピードだよ』って話します」

東亜学園では昨年から本格的にトレーニングをメニューに加え、測定のために初めてスピードガンを取り入れた。
それぐらいスピードは重視していなかったそうだ。

東京で実践し続けてきた関西野球

「僕らは逆にバッティングなんかはそんなに言わないですもん。ピッチャーも今は球数制限とか厳しいんで投げ込みはしませんけどね。でもいつも言うんだけどピッチャーは投げて練習すればピッチングが良くなる。バッターはバットを振ることで良くなる。やっぱりまずはバット振って、ボールを捕って投げて。そういう基本的なことをちゃんとやらないと」

「関東の強豪は、例えば帝京とか横浜とかほとんど打って勝ってるチームばっかりなんですよ。日大三高なんかも野球の勝ち方は10-0が理想だと言います。
確かに失点は0がいいけど、俺は1-0でもいい。勝ち方には3つあって、まずピッチャーの守り勝ち、攻撃で打ち勝つ、もう1つは相手に負けさせる。
相手に負けさせるってどういうことかというと、粘って粘って最後は相手が余計なファーボールを出すかエラーをするかして相手に負けさせる。それも勝ち方のひとつなんです」

あ、東洋大姫路の野球だ、と思った。

同じ恩師に鍛えられた盟友である上田さんと藤田さんは、片や母校で、片や遠く離れた東京で、お互い長年に渡って東洋大姫路の野球を次世代に繋ぎ続けていたことを初めて知った。

関西出身の監督がほとんどいない東京。
そんな中、初めて取材させてもらった東京のチームの監督がたまたま関西の、しかも同郷・兵庫県出身の方で、関東と関西の野球の違いをわかりやすく教えてもらえたのはこの上ない幸せだったと、お話しを聞きながらつくづくありがたく思った。

2023年夏、7年ぶりに東東京大会で決勝進出

就任当初と今の1番の違いは、みんな野球が上手くなっているところだという。

「今の方が能力の高い子が多いです。でもその分、他のチームもレベルが上がってるから、全体のレベルはもっと高くなってますね」

「昔はピッチャーが130キロ投げたら『速いな』って言ってたんですよ。今は145キロですから。バッティングや走塁も同様に進化してます」

40年前からチームの変遷をよく知る上田さんが総監督として存在感を残しながら、現在のチームは教え子である武田朝彦監督が率いる。コーチには上田さんのご子息もいて、この3人で野球部専用の大型バス2台を運転して関西遠征にも出向いている。

今回は帰りの新幹線の時間が迫っていたため練習の見学はできなかったのだが、取材中に女子マネージャーの皆さんがタイミングを見計らいながら何度もお茶やコーヒーを運んでくれたのが印象的だった。
女子マネージャーが優秀なチームは総じて良いチームである。選手の士気と連動している証拠だからだ。

東亜学園は、取材の翌月に行われた夏の東東京大会で、7年ぶりに決勝まで駒を進めた。

「嫌な相手」である東亜学園が平成元年以来に甲子園の土を踏む日も近いのではないだろうか。

上田さんは「バッティングはそんなにうるさく言わない」と仰っていたが、後から調べたところ東亜学園は伝統的に打撃力も強かった。

あの決して広くないグラウンドで一体どんな練習をしているのかをちゃんと見てみたいので、ぜひまた伺わせてください。

この度は大変お世話になり、本当にありがとうございました。

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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