困った時の神頼み

編集長BLOG

突然ですが、昔から神社仏閣巡りが好きです。

最近は、スランプに陥る度に近くのお気に入りの神社を回るのが、ほぼ日課です。

娘を幼稚園に送ってから、神社とスタバに寄るのが朝のルーティン。

はい、完全に神頼みなのですが、それで思い出したことがあります。

子供を授かる前は、子宝祈願にも行きまくってたな〜と。

私は26歳で結婚しましたが、子供は作らないと決めてました。私のような未熟な人間に子供をちゃんと育てられるとは到底思えなかったからです。
ですが32歳を過ぎた辺りから本当にそれでいいのか真剣に考えました。

「50歳になったときに本当に1ミリも後悔しないか?」という視点で何度も自問自答しました。
その結果、私は浅はかなので必ずや後悔するだろうと予測。

でも自分が妊娠しにくい体質であることはなんとなく察していたので、それから色んな神社仏閣に神頼みに行きました。

その頃、私たち夫婦は沖縄移住の下見を兼ねて頻繁に沖縄に行ってたので、主に子宝祈願は沖縄でしました。
普天間宮、泡瀬ビジュル、シルミチュー。

それでもなんとなく、私は子供を持つことは無いだろうな、と思っていました。

沖縄で子宝祈願をしてからすぐに、神戸の有名な不妊治療専門クリニックに行って色んな検査をしてもらい、やっぱり私は自然妊娠は不可能なことが発覚。
なので人工授精をすることになりました。

周りの友人も不妊治療をしている子が何人かいて、人工授精を何回かトライして授かった子もいれば、何度も体外授精までしたのに結局授からなかった子もいたし、少なくとも私も体外授精までは経験するんだろうなと思っていました。

そして迎えた1回目の人工授精で、今の娘を授かりました。

変な話ですが、絶対に無理だと思っていたので心の準備ができておらず、妊娠発覚後しばらくはものすごく動揺しました。
「私の子として生まれるこの子は果たして幸せなんだろうか?」と毎晩1人ベランダで夜空を見上げながら泣いていました。
その光景を想像しただけで周りの友人たちは笑いを堪えるのが大変だと思いますが、当時は真剣に悩んでいたのです。

私には実家が無く、旦那の両親は高齢な上に持病もあるので、産後に頼れるアテは全くありませんでした。

私は裕福な祖父母に何不自由なく育ててもらえたし、周りの友人も裕福な親に子育てを存分に手伝ってもらっています。
でもお腹にいるこの子には、そんな環境を与えてあげられないことは確実。

「ほんまにいいん?うちの子に産まれてもいいの?もし嫌やったらやめといてもいいからね」と、泣きながらお腹をさすっていたら、まだ全く出てもいないお腹の中から、ものすごく力強い何かを感じたんです。
「絶対産まれたい!」という子供自身の意志のような感じでした。

その瞬間、この子はきっと無事に産まれてくると確信し、ようやく私も泣くのをやめて覚悟を決めました。
意志薄弱・軽佻浮薄なことでは近畿代表クラスのこの私が「絶対この子を幸せにする!」と決心したのです。

その後、切迫流産のおそれがあるので安静にするよう医者に言われ安静に過ごしつつも、この子は必ず無事に産まれてくるとなぜか揺るぎない自信がありました。
それからまもなく沖縄移住し、沖縄の産婦人科で健診を受けると「あの〜、全く切迫の気配無いですよ?」と言われ、その場で安静解除の許可が出されました。
神戸では何度健診を受けても切迫流産の危機と言われていたのに、本当に不思議でした。

おかげで沖縄で超絶元気な妊婦として、車の運転はできないにも関わらず、バスや徒歩で沖縄中を探検して過ごしました。

が、沖縄で運転ができないのは致命傷であることと、神戸の友達と瀬戸内海と関西ローカル番組が恋しすぎることから、2ヶ月で撤退w
沖縄で子供を産み育てるつもりでしたが、産む前に帰ってきました。浅はかです。

あれから4年。
神戸で元気に誕生した娘は全く手が掛からず、実家に頼れなくて困ったことも特に無かったし、むしろコロナ以降旦那が在宅ワークになって楽になり、今は素敵な幼稚園に楽しく通ってくれているひょうきん者のプリンセスです。

沖縄移住中に、普天間宮と泡瀬ビジュルとシルミチューには大きなお腹を抱えてお礼参りに行きました。

ちなみに、こっちでも1ヶ所子宝祈願に行ったのは淡路島の伊弉諾神宮です。
ここには娘を連れてお礼を言いにいきました。

子宝祈願も不妊治療も散々したのに授からない人もいると思いますが、その人たちにはきっと他の形でベストな人生が「こっちやで!」とばかりに待っているんだと思います。

子供がいるいないで人間の格がどうのこうの言うてくる人がたまにいますが、あんなもんはウソです。
結婚してるしてないもそうですが、そんなしょーもないことに傷付けられて悩む人が1人でも減ってほしいなと切に願います。

私は今、物書きとしてやっていきたいんやとあちこちにお参りした上で努力もしていますが、こちらの方はちょっと無理かもな〜と自分でも思ってます。
それでも日課のようにお参りに行って神にプレッシャーを与え続けていますが、いくら神でも叶えてあげられへんこともあるんやろなって謎の上から目線で納得してます。

でも私は昔から書くことが大好きでまだ諦めきれないので、これからも隙あらば神にプレッシャーを与えながら、自分にとってベストな形で書くことは続けていこうと思ってます。

そして色んな人にインタビューをさせて頂いててつくづく思うのが、頑張ってる人は頑張ろうとしてる人を絶対バカにしたりしません。皆さん、私みたいな弱小ライターにも真摯に向き合ってくださいます。
私は元々人が好きですが、このマガジンを初めてからますます良いな良いな人間って良いな♪って思うようになりました。

明日から、今月のインタビューに本格的に着手するので、ブログはしばらく書けないかもしれません。無い頭をフル回転させる1番しんどいフェーズに入ります。

一応お伝えしておくと、私はわりと敬虔な浄土真宗本願寺派の門徒です。
でも毎日のように神社に行き、クリスマスを楽しみにしている典型的な日本人です。

この良く言えば大らか、悪く言えば都合のいい日本の信仰システムが気に入っています。
「顕如はん、すんまへんなぁ」と思いながらその日その日で気が向いた神社に参ります。

もしも私がまた今回も素晴らしいインタビュー記事を書けなくても、それは神のせいではありません。私にとってのベストは物書きでは無い可能性は無限大です!笑
でもやれるところまでやってみたいので、頑張りたいから頑張ります!笑

編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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