第3回 わし of LIFE「馬」

わし of LIFE

わしの親父は無類の競馬好きで、わしが幼少期の頃は平日は夜遅くまで仕事して土日は9:00~17:00(1レースは10時前後に始まり16:30頃最終レースを迎える)まで自室に籠もって競馬新聞とにらめっこしてたわ
んで、その日の勝敗で我が家の晩飯が決まるシステムやったから、勝てば値段表もメニューも無い様な高級寿司屋連れてってくれた
まぁそんな感じやから折角の土日も親父と触れ合える機会も無く、それでも親父と交流したい幼少期わいは頑張って競馬を覚えたんや
そしたら競馬ってめちゃ面白くてな、勿論ギャンブルなんやけど1頭の馬を育て上げるのに沢山の人々が携わって、そして血統というドラマに巻き込まれてしまい、気付けば小5で競馬場に通ってた
その頃はただ馬を近くで見たい!走ってる姿をみたい!って気持ちやったんやけど、ある時じいちゃんの形見から一眼レフと馬の写真が大量に出てきて次競馬場行く時からはカメラ持って写真撮りまくってた
っても当時は勿論アナログ機やからフイルム買うて慎重に慎重に、連写なんか無理!
それで阪神大賞典のナリタブライアンとマヤノトップガンのデッドヒートを収めたんやで
↑知らん人が殆どやと思うけどこのレースはyoutubeで見てほしい、鳥肌立つで
そんだけしょっちゅう競馬見てたら騎手になりたくなるのが少年の心やねんな
で、簡単にインターネットなんか出来ない時代に、どうしたら騎手になれるか自分なりに調べまくって解ったのは
超難関受験を経て15歳から3年間の寮生活
成長期なので体重オーバーで志し半ばで退学する生徒多数…
中途半端に日能研行ってたわいは、腹を括り嫌いな勉強も頑張り騎手を目指そうと、希望でいっぱいの状態の時ふと目についたのが、入学時の条件として体重制限…
そんなんあるんか…
超健康優良児だったわい
がっつり体重オーバー
しかも小6で
夢潰える

それからは牧場で働きたい!強い馬を生産したい!と意気込んだけど、寒い土地で24時間365日面倒見るんは無理やな、とあっさり諦め、馬券が買える歳になってからキチンと馬券で楽しんでます
で、おっさんなってから出会ったのが一口馬主やねん
普通に馬主になるには所得のハードルがすんごい高いから、何千万もする馬を一口幾らと決めてシェアしましょうってのが一口馬主
その出資口数で馬代や餌代を割り勘して、賞金も口数に応じて分配されるねん
1歳で出資したら、引退するまでずっと競走馬に(ある程度)携われるのがホンマにおもろくてさ
例えば毎日毎日トレーニングを重ねている牧場へ見学に行けたりするねん
フッフール号
これは初めて持ったフッフール号

かわええ~

木屑を敷き詰めた約1kmの坂路
木屑を敷き詰めた約1kmの坂路

で、デビューを迎えたら勿論応援しに現地へ

スパーブアゲイン号

彼はデビュー戦にわざわざ我が家総出で京都まで応援に行って最終コーナーを勢い良すぎて曲がりきれなかったスパーブアゲイン号

バスラットレオン号
バスラットレオン号

彼はわしにとって初めての日本ダービー出走馬

もうね、どんなレースでも愛馬が走ってたらまるで我が子の運動会なんよな
怪我せーへんかな、無事戻ってくるかなとソワソワしまくりで
でも競走馬の世代頂点を決める日本ダービーで走った時は残り400mまで先頭やったから興奮で脳の血管千切れそうやった

競走馬って2歳の6月からデビュー戦が始まって3歳の9月迄に1勝出来なければ基本的に引退になってしまうねん
年間約7,000頭が競走馬を目指して生産されるんやけど1勝できるのってひと握りやねん
じゃあ勝てずに強制引退になった馬はどうなるかというと、走れる見込みのある馬は地方競馬に売られるねんけど、見込みのない馬は食用に回されてまうんよね
ひと握りの馬は乗馬で引取りがあるみたいやけどな
だから引退した競走馬を引き取れる施設を作りたいと考えた事はあったけど、犬しか飼うたことないから現実的に無理な話で
今はそんな引き取り施設が増えてきて、運営費をクラウドファンディングで賄ってるところもあるみたいやから、いつか馬券でガッポリ稼いだらそこに還元するのもありやなぁ〜

まぁわしは今住んでるマンションのルーフバルコニーで何とか馬飼えんか考え中や
次回コラム
「少年時代の動けるデブ」

前回コラム
「こんにゃく」

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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