神戸国際大学附属高校 硬式野球部の青木尚龍監督②

インタビュー

17年ぶりに青木先生にお電話したのは5月の頭。
不思議と、絶対に番号は変わっておられないと確信のようなものがありました。
そのときはお出になられず、土曜日のお昼間だったのできっと練習試合中なんだろうなーと思っていたらやはりそうで、のちほど折り返しのお電話を頂きました。

もちろん青木先生は私の番号を登録されておらず、全ての経緯をお話ししたら「あーなんか段々思い出してきた!俺の取材?えーよ!」と今回もあっさりお引き受けくださいました。

「その取材ってどれぐらい時間かかる?」と聞かれて、「大体1〜2時間ですが、この前の塾の取材は3時間ちょっとでした!」と伝えると「3時間!?」と驚かれながらも「ちょっと待ってよ、それぐらい時間作れる日ぃ考えるわ!」と言ってくださり「いえ、長い時は3時間に及ぶ事もありましたってだけなので、1時間とかでも全然大丈夫ですよ!」と言ったのですが「えーよ!3時間作るで!」と、夏の大会前のお忙しい時期に、こんな弱小マガジンの取材に3時間も確保してくださいました。

学校で朝9時から3時間という事で決まったのですが、取材4日前に「11時から緊急会議が入ってしまいました」とご連絡頂き、ハイ!じゃあ2時間ですね!と思っていたら、なんと「時間、前倒しにしてもらってもいいですか?」とご提案くださり朝8時台からの早朝取材となりました。

青木先生のお人柄の素晴らしさは17年前の私自身の感覚としても、そして周りの評判からも知っていましたが、早速目の当たりにして改めて敬服いたしました。

取材当日、神戸市垂水区学が丘にある国際まで学園都市駅からバスに乗り、そこからはゆるやかな坂道をひたすら歩いて向かいました。
学が丘というだけあって、本当に丘の上にある学校なんだなぁと思いながら歩いている間、頭の中にずっと国際の校歌が流れていました。

「咲き誇る学が丘の 春よ光れ 明日の輝きで 行く手にはあふれる希望 今広がってゆく」(神戸国際大附属高校 校歌より引用)

テンションの上がる最高の校歌やんなぁ、としみじみ思いました。

正門の前に着いて中をちょっとのぞくと、まるで大学のように煉瓦造りのキレイな建物がいくつも聳え立ち中庭も広くて「国際って昔からこんなんやったっけ?」と驚きました。

青木先生に電話すると「グランドの場所わかるやんね?僕も今から向かいますわ!」と言われたのですが、なにぶん17年ぶりなのでグランドの場所をすっかり忘れていて、中庭ですれ違った先生らしき人に道を教えて頂き、なんとか野球部のグラウンドに辿り着いて青木先生の到着を待ちました。

神戸国際大附属という全国クラスの強豪校の、朝の無人のグラウンドは威厳に満ちていて、「夏の大会まであと◯日」と奥のフェンスに掲げられているのを見ながら、17年前の自分の怖いもの知らずさに呆れていました。
そして38歳になった今も尚、こうしてのこのこと偉大な方を訪ねて行く自分の無謀さと、それを受け止めて頂けるありがたさで胸がいっぱいになっていた所に、57歳になられた青木先生が現れました。

17年前、夏の甲子園出場を果たす前の良い意味でギラギラした雰囲気は消え去っておられて、今目の前にいるのは春5回夏3回甲子園経験のある押しも押されもせぬ貫禄に満ちた、そしてどこか達観したような雰囲気さえたたえた人でした。

プレハブの部屋に通され、冷蔵庫からお茶とお菓子を出して頂き、テーブルを挟んでソファに向かい合う形で17年ぶりの取材開始。

「先生!今日は胸を借りるつもりで参りました!何卒よろしくお願いいたします!」

「うん、なんぼでも借りてよ!何でも聞いてくれたらええよ!」

北海高校との縁について

まず最初に私がどうしても聞きたかったのは、甲子園での北海高校との縁についてです。

国際は2017年夏と、2021年は春夏両方、つまり直近の甲子園出場3回中3回とも、初戦で北海高校と当たっています。

「1回目はまぁいいですわ。でも2回目、去年の春はね、これ僕おは朝の岩本アナにも話したら次の日テレビで仰ってたけど、抽選会の前日に開幕試合で北海と当たる夢見たんよ。
その前の日に娘と『もしかして北海と当たるんちゃう?』なんて話したんかもしれへんし、何かで北海って言葉を見聞きしたんかもしれへん。で、次の日の抽選会でホンマに開幕試合で北海引いてきたから、ビックリしたよ」

「それ以上に去年の夏はね、さすがに3回連続とは『うっ!』てなったね。それは向こうの平川監督も思たんちがうかな」

ちなみに北海との対戦は3回とも国際が接戦を制して1点差で勝利しています。

両チームともが度々甲子園に出場されていることがまず凄いことですし、抽選で決まる甲子園の初戦で、これだけの頻度で同じチーム同士が対戦することは極めて稀なので、不思議な縁としか言いようがありません。

2人のクロダくん

2014年と2017年に甲子園出場したとき、どちらもピッチャーに黒田君がいました。

3年違いなので同じ選手であるはずがなく、何か血縁などがあるのかな?と思って伺ってみたところ「たまたまやね。2014年は背の高い右の黒田で2017年は左のミニ黒田ね」
たまたまでした。
でもこの2人の黒田君はすごく印象に残っています。

夏の甲子園初出場後の流れ

2014年に初めて夏の甲子園出場を決めたときは「それまで決勝より準決勝あたりで負けることが多かったから、初めて夏決まって一瞬グッとなったけど嗚咽するような感じではなくて、感動どうのこうのよりもホッとしたなぁって感じでした。ほんで日が経つにつれて『甲子園でぶさいくなことできへん』って思いがすごくありました」

「前から、初めて夏の甲子園決まったら酒でも飲んでみんなに会うてーって思ってたけど、甲子園まで10日ぐらいしかないし実際はそれどころじゃなかったね。準備せなって感じやった」

「ほんでありがたいことやけど沢山の人からおめでとうってメールを200通ぐらい頂いて、日付け変わるぐらいの時間にやっと落ち着いて返事し始めて、全部返し終わったのが夜中の2時やった。そんな時しか連絡取らへん人もおるからほんまに嬉しいし良い時間やけどね」

200通のメールを2時間集中してお返事なさる。まさに青木先生のお人柄が滲み出ているお話でした。

男女共学化により女子マネージャーが加入

長きに渡り男子校だった国際ですが2018年に男女共学になりました。
といっても女子は決まったコースにしかいないので人数は少ないけれど、野球部にも女子マネージャーが入るように。

女子マネージャーも立派な部員ですが、それまでずっと男所帯だった国際。
「部員に女子が入るようになったことで、先生の意識の中で何か変化はありましたか?」と尋ねると「2018年、共学になった最初の年に女子マネージャーが3人来ました。それまでずっと男しかおらへんかったから何をしてもらったらいいかわからずに、最初の1〜2年はただいてもらうだけになってしまったかな。女の子の方がある意味男より根性あるから、その子らはもっと色々やりたかったと思うし悪いことしたなと思う。今もまだ正直どう扱ったらいいかよく分かってないんやけど」
2018年以降、あの男くさかった国際に女子マネージャーがいるのは私もまだ不思議な感覚ですが、女子が入ることでまろやかさが加わり、きっとチームに良い影響を与えていると思います。

この17年間での兵庫県の勢力図の変化について

2005年の取材時と現在の兵庫県内の高校野球は、全く状況が変わっています。
当時は強豪私学勢と、それを追撃する市尼、社、姫工など一部の突出した公立勢という構図だったのが、今では甲子園に出場したり射程圏内にある公立高校が格段に増えました。
その理由について青木先生は「公立の無償化。これしかないね」と仰っていました。
兵庫県では2014年度から公立高校の授業料無償化(条件有り)が施行され、それが背景にあるようです。
「あと、公立でも本気で甲子園出ようと思ってやってる監督さんが増えたんもあると思う。だからこそ、私学は圧倒しないとあかんよね」
元々スモールベースボールをお家芸とする兵庫県において、国際は圧倒的な打撃力のあるチームを毎年作っておられます。
「打てるチームを作ろうという意識は最初からお有りだったんですか?」と聞くと「うん」とさらっとお答えになられたあと、大変興味深いお話をしてくださいました。

兵庫県がスモールベースボールになる理由

「最近はメイン球場がほっともっとになったけど、ちょっと前までメインが明石やったでしょ。これは他の監督さんも皆分かっておられることやけど明石球場が広すぎるんよ。あそこでホームラン入る気せぇへんもん。だからゴロ打ちでエンドランかけたり走塁で仕掛けたり、どうしても野球がちっちゃなるんよ。兵庫がスモールベースボール言われるんは明石球場が原因やったと思うよ」

「明石球場の広さが原因やったんですか?」

「う〜ん、広さだけやなしに風とか、なんか雰囲気。姫路やほっともっとならポンポーンとホームラン入るけど、明石はなんか入らへん感じがすんねん。他の監督さんにも聞いてみ。皆思ってるわ」

「逆に言うたら他府県の球場とか見てたら、そらここメインでやるならホームラン入るから普段から打つ野球できるよなって思ったりするよ」

目から鱗がポロポロポロポローっと大量にこぼれ落ちました。
昔から兵庫県の野球は小さいと言われます。
個人的には小さい野球も好きだけど、他府県の強力打線もカッコイイなぁと思うし、なんで兵庫はみんな揃って小さい野球をするのかなと不思議だったのですが、やっと謎が解けました。

そんな条件の中でも国際はずっと攻撃野球をしてこられたんですねと思わず感嘆の言葉を漏らすと「でもそれが監督のただの自己満足になってもあかんしね」とやっぱり冷静で客観的視点もお持ちの青木先生。

国際が17年前と変わったところ

「コーチ陣が充実してきて、任せられる所が増えたのは1番変わったとこかなぁ」
それでもいまだに監督自らマイクロバスの運転をすることもざらにあるそうです。

「え!先生、今でもバスの運転してはるんですか?」
「遠くに行く時はコーチに任せてるけど、全然してますよ!」

昔、青木先生が二種免許まで取得して自らマイクロバスを運転して出身大学の人脈で愛知県までしょっちゅう練習試合に出向いていたのは有名な話ですが、まさか今もされているとは。
17年前に「時々、練習終わったら部員らをバスに乗せて近くの銭湯に連れて行くねん」というお話を聞いたのが印象的だったのですが「今は寮ができたから昔みたいに銭湯に連れて行くことはなくなったけどね」と仰っていました。

監督就任30年を振り返って

「今年で監督就任30年ですけど今振り返られてこの30年、どうでしたか?」と尋ねると「う〜ん」と非常に困らせてしまいましたが「好きなことを仕事にできて幸せやねってよく言われるしそれはそうやけど、かといってそんな気楽なもんじゃないよな。そらいつかはやめるやろけど、その後は国際の試合結果があんまり耳に入らへんとこに行きたい。どうしても気になってしまうから。今でもケータイには野球よりプロレスのニュースが1番に表示されるようにしてる」

この言葉に何か足せるほどの人生経験を私は持ち合わせていないので、これはこのまま置いておきたいと思いますので、皆さまそれぞれのご年齢やご経験から色々感じ取って頂ればと思います。

今回お話をうかがって

青木先生は言葉が非常に率直な方で「かっこつけたり飾ったりするのはしたくない」と仰います。
そして「暗い話より明るい話してたい」と言われる通り、ご自身も明るい雰囲気を持たれていて、私が高校時代に鮮烈に感じた国際のユニフォームもチームの雰囲気も、それは全て青木先生が持っているものから生まれたものだったんだと思いました。
長い歴史のある高校野球は古風なカッコ良さもたくさんありますが、2000年代初頭の国際はとにかく斬新な存在でした。

兵庫県のスモールベースボールの中で伸び伸びと大きな野球をし、今でこそユニフォームや校歌に個性のあるチームが増えましたが、あの時代に白地に青とオレンジが配色された派手なユニフォームに身を包んで「セントマイケルズハイスクール!」と横文字の校歌を堂々と熱唱し、さらには青木先生がプロレス好きだという理由でスタンドの応援曲に数々のプロレス選手の入場曲を使ってグラウンドだけでなくスタンドにも華々しい勢いがあり、今では多くの学校で使用される曲になっています。

青木先生は間違いなく高校野球の歴史に新たな風を送り込み、新たな時代の牽引役を担われてきました。
そして「調子には乗りたくないね、どんなに上まで行っても調子には乗りたくない」と17年前に仰っていたことを今も地でいかれている人間性の素晴らしさ。

取材が終わって帰宅後、お礼のメールを差し上げたところ「こちらこそありがとうございました。これからもがんばってくださいね〜、お互いに」と最後に野球の絵文字を付けてくださったお返事を頂き、青木先生にそう言われたら、もうがんばるしかないと前向きな決意を新たにしました。

高校野球が好きで良かったですし、兵庫県に生まれて国際の、青木先生の野球を間近に見て育つことができて本当に良かったです。

これからもずっと応援していますし、またいつか3度目にお会いできることを楽しみに頑張っていきたいと思います。

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神戸国際大学附属高校 硬式野球部の青木尚龍監督①

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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