今から22年ほど前。元町の栄町の路地裏で、小さな「カフェでもあるしバーでもある」みたいなゴチャゴチャした飲食店をオープンしました、ワタクシ23歳の春の事。
その頃の思い出といえば、とにかく「お金が無い」。
売上だけではやっては行けず、営業終了後の明け方に長田港の倉庫で仕分け作業のアルバイトをして、それからまた栄町に戻りランチの営業。しまいには元町〜長田の往復の電車賃もキビシくなり、普通、若者のポケットにあるはずの「夢といくつかのコイン」のそのコインすら無いような毎日でした(当時ユニクロの商品は全て長田港に集まり、それを全国配送するための仕分けをする仕事だった)。
細い細いロープの上で、それでもなんとかかんとか経営と暮らしを成り立たせているというギリギリの生活。
もし今あの頃の自分に会うことが出来るのなら、ぶん殴ってやりたいほどの己の未熟さとアホさ加減。自覚も、勉強も、謙虚さも、何から何まで足りないクソガキ経営者でありました。が、それでももがいてもがいて仕事しながら日雇いバイトにまで行っていた事は、今でも少し活きているような気もします。
そんなツラい事ばかりだったあの頃ですが、だからこそ自分にとっての「青春」である事には違いありません。
不思議なモノで、その「カフェだかバーだかわからんな」というお店はお客様のおかげで徐々に流行っていきました。
それまでなら長田港にバイトに通っていたはずの時間には、北野や三宮でヘベレケになっている始末。
居留地のヴィトンがオープンした際には、その「レセプションパーチー」みたいなものにお呼ばれするまでになっていました。納車されたばかりのモスグリーンのメルセデス・ベンツW124Eに乗って。
ただ、自分でも「これはちょっと可怪しいな・・・」と思い初めている頃で。
そういえば丁度、そんな頃でしたか。
この『M’s-magazine』の編集長に初めてお会いしたのは。
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