第2回 島根 喫茶店のマスターが神戸に愛を込めて

ココロの兄貴

結局7年ほど栄町で商売をして、倒産に。終わる時はあっさりしたものでしたね。

初めのウチはキツい経営状態、それが開業から1年もしないうちに徐々に軌道に乗り、しばらくの数年は、本当に愉快な日々を過ごしておりました。

ただ、その「愉快」は徐々に「不安」になって行きます。「こんなに調子がイイ事が続くなんてありえへん」と。

それからはこの未熟なガキ経営者が、いっちょ前に真剣に飲食業というものに取り組み始めます。オープンからだいたい4年後くらいの事でした。

それまで飲み歩いていたのは、「フレンチレストラン」へ。
ドルガバやグッチに使っていた分は、「お店の改装」へ。
本を読み、歴史を学び、西洋料理の調理技法やワインについての知識も増してきました。

日々「ちゃんとした飲食業の人」というものへの成長に、ガキながらに充実感ある日々。

しかし、勉強すればするほど、技術を身につければ身につけるほど、お客様は離れていきます。

今ならわかります、どうしてそうなったのか。
ただ当時の自分にはわからなかった。いや、本当はわかりたくなかっただけかも。

飲食業界のちゃんとした一員になりたかった。同業や先輩後輩から「イイ店になった」と褒められたかった。

そして神戸という街に認められたかった。
島根の山奥から出てきた少年は、実はとても焦っていたのです。

「カフェ」や「ファミレス」や「創作料理」などを下に見て、フレンチこそが素晴らしいなんて馬鹿げた考えに陥り、確かに一部のグルメや職人さん達からは、少なからずの評価を頂けていたかもしれません。

ただ、飲食店としての「見てくれ」や、業界や、将来ばかりを気にしすぎ、最も大切な、今ココに来てくださっているお客様の事をないがしろにしていたんですね。そらアカンわ。

日々無くなっていく運転資金。
返済に追われる借金生活。

そして、久しぶりの長田港。

バカみたいに飲み歩いていた時の方が「お客様目線」を持てていたのに、それを捨ててまで手に入れたのがそこの業界でしか評価されない知識や技術。お客様の事は無視しておいて。

なんと間抜けな事をしてきたのか。

道路の向いに新しくオープンし、お客様の行列まで出来ているイタリアンレストランを眺めながら、「寿命が来たんだな」と。
最後に1人だけ残ってくれていたスタッフへ、店を畳むことを告げました。

ちょうど、長女が生まれたばかりでもありました。

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編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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