編集長コラム第29回 「『その街のこども』だった私たち」

編集長

あの日の朝、揺れる直前に目が覚めた。

遠くの方から、黒くて大きな怖いものが押し寄せてくるような悪夢を見て、うなされて目が覚めた。

目が覚めても、まだ夢か現か「なんか来るっ!」と思った瞬間、あの突き上げるような激しい縦揺れに襲われた。

押し寄せてきていた怖いものの正体は、ゴーーーーッ!と言う地鳴りだったのだ。

兵庫区北部の我が家は大した被害は無く、揺れが収まってすぐ、家族全員で1つの部屋に集まり、電気が止まっててテレビが点かないので、ラジオを点けた。

「いや〜ビックリなさったでしょう?」というパーソナリティの大らかな声にホッとして「なんや、大したことじゃなかったんか」と勘違いした私と弟は「はい!ビックリしましたよ〜!」とおどけて両親を笑わせた。

外に出てみると、町の様子もいつもと変わりなく、近所の人たちと「ほんま朝からビックリしたねぇ。電気もガスも水道も止まってるけど、いつ復旧するんやろねぇ」と苦笑し合った。

その後、父は「一応、念のため」と言いながら、区内の南側にある実家の様子を見に出かけた。

戻ってきた父は完全に血相が変わっていて「あかん!大変なことになっとる!」と叫んだ。

父の実家であり、私が5歳まで暮らした家は崩れ、祖父母はかろうじて無事だったが、とてもじゃないけどこのまま住めるような状態ではなく、他の家も同じような、あるいはもっとヒドい状況だった。

その後しばらく、祖父母をはじめ親戚や父の友人など10人ほどが我が家で避難生活を送っていた。

それでも私が経験した阪神大震災は、他の地域に比べたら全然大したことではなくて、当時小5だった私は、一体何が起きてるのかよくわからないまま、長田の方から立ち登る黒煙を、バタバタ飛び続けるヘリコプターを、全く現実味を持てずに、家のベランダからボーッと眺めていた。

あの時に「ボーッとしていた」ことは、その後、長年に渡って私を苦しめることになる。

阪神淡路大震災は6434人もの犠牲者を出した未曾有の大災害だったにも関わらず、私は渦中にいながら傍観者だった。

大人になって大阪で働くようになると、当時はまだまだ神戸といえば地震のイメージが強くて「神戸出身です」と言うと「え!ほな地震のとき大変やったんちゃうん!?」とよく聞かれた。

その度に「いえ、私は大変じゃなかったんです」と言うのが、心苦しくて堪らなかった。

それでも「この子は神戸の子やから、ようしたってくれ!」と上司が他の人に言ってくれたりして、もういたたまれなかった。

その時には弟を事故で亡くしていたので、余計に【当事者】じゃない人間が苦労を語ることの失礼さを痛感していたから、地震のことは、できるだけ避けたい話題だった。

そんな気持ちをホッとほぐしてくれた映画がある。
森山未來と佐藤江梨子が出演する『その街のこども』という作品だ。

震災から15年後、幼い頃に地震を体験したものの今は東京に住む男女が、久しぶりに訪れた神戸で偶然出会い、夜の三宮から御影を歩いて往復する中で、それぞれが今まで逃げてきた震災にもう1度向き合おうとする物語。

私と同じように、大きな被害を受けた人間じゃなくて、しかも当時は子供だった2人の話は、まさに私がずっと抱えてきた神戸の地震への思いそのものだった。

同じ思いの人がたくさんいることに気付かされ、この映画によって、ようやく地震のことへの罪悪感が昇華された気がした。

6434人もの尊い命が奪われたとはいえ、人口150万都市の神戸で、実際に家族や大切な人を失った人に出会うことは、意外と少ない。

私たち世代の大半が『その街のこども』だったと言えるだろう。

私にとって1番身近な人で亡くなったのは、名前しか知らない祖父母の家の近所のおばちゃんだ。

そこのおじちゃんは、おばちゃんを亡くしたショックで、その後アルコール中毒になり、数年後に死んでしまった。

そんな【当事者】の人が受けた心の傷は、私たちのような『その街のこども』が訳知り顔で語ることなど、とてもできない。

それをみんな分かっているだけに、あの地震というのは『その街のこども』たちの罪悪感の種になっていた。

でも、この映画を見て、震災後、解体された祖父母宅の跡地に、泥だらけになった私たち兄弟のオモチャがいくつも転がっていたことが悲しかったなんて、そんな甘っちょろいこと、ずっと誰にも言えなかったけど、そんなことが悲しくてもいいんだと初めて思えた。

あと、震災を経験してない世代の人や、震災後に神戸に住まれた方も、どうか罪悪感や疎外感を持たないでほしいです。

今、みんなで一緒にこの街に暮らせていることがうれしいから。

ただ、あの頃の神戸の大人たちがかっこよかったことは、誇りに思ってください。

極限の状況でも、神戸には、人の親切とユーモアが、ちゃんとずっとありました。

「トポス潰れたんショックやわぁ!でも知っとぉ?ダイエーはもう開いとうらしいよ!」「あんたとこ、お水足りとんの?うち井戸あるから困ったら言うておいでよ!」
おばちゃんらはタフに生活を切り盛りし、おっちゃんらは街を立て直す為に全力で走り回っていた。

『その街のこども』、良かったらぜひ見てみてください。私たちのような被害が少なかった人間の想いを代弁してくれている作品です。

『神戸新聞の7日間』も、リアルで涙止まりません。

今のこの街のこどもたちが、どうかこんな思いをすることがありませんように。
鬼は外、福は内。

次回コラム
「リアル『阪急電車』」

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「神戸三大神社の取材をしようと思った経緯の話」

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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