どうも鬼絞り三連単です
当マガジンで取り上げられている
『久保田学園』
この時代はわしも宝物みたいな思い出が一杯なのである
編集長からも依頼を受けたので今回番外編としてこの辺の時代を書いてみよかな、と
わしは久保田学園に通う前は地元の同級生の親が営んでる塾に通っててん
ボロッボロのテナントでトイレはいつも
膝までサンポール浸かってんか!
て位サンポール臭かった
教室は地上階やのに窓も無い牢屋の様なところ、そして如何にも「塾営んでます」な風貌の塾長で、ハゲ!とか悪口言うたら口元に唾溜めながら怒るタイプやねん
確か1クラスしか無かったんかな、いやもーちょいあったんかな?覚えてないけどめちゃ閉鎖的な塾やったんは覚えてる
で、中学に進学して小学生の時は校区外やったエリアに、めちゃ人気の塾があると知ることになるねん
それが久保田学園
通ってみると、今までの辛気臭かった塾のイメージをいきなり真っ向否定されて、若い先生が面白おかしく興味を引き付けて毎回授業してくれるんよ
生徒のモチベーションを下げない工夫っちゅーんかな
大人になった今に思えば、他との差別化や企業方針や努力なんかの言葉で表せるんやけど、当時はまるで海外ドラマの続きが気になる様な感覚で通ってたと思う
なんしかめちゃ楽しかったわ
その頃好奇心旺盛だったわしは、シャカシャカのジャージきてうんこ座りで地面にひたすら唾液溜める練習したり、尾崎やブルーハーツ聴いたり、元町商店街にあった学ラン改造の店ニノコで裏ボタン買ったり、ボタン押したらシャッ!って伸びる櫛買ったり、同級生の親が経営してたレンタルビデオ屋からビデオ拝借したり、路地で1対1の野球やったり、ビビアンスーの台湾時代の少しセクシーシーンのある映画をダビングしてクラスメートに売りつけたり、何かと忙しかったのだが、久保田学園にはしっかり通っていたあたり、編集長が言う『不良』ではなかったんやと思う
エニウェイ
編集長のページに出てくる、盗んだバイクで塾に行ってた奴はわしではない、T君だ
彼とはほぼ毎日行動を共にしていて、わしの家にもしょっちゅう遊びに来ていた
当時のわしはサッカーが好きで、ブラジル代表モデルのサンダルを愛用しててんけど、T君はそのサンダルを『借りるで〜』と履いて盗んだバイクで塾に行った帰りに警察に追いかけられ、裸足でわしの家に戻ってきたのだった
彼は捨てたバイクをずーっと惜しんでいたが、わしはお気に入りのサンダルを捨てて来たことに憤慨しまくった
なんなら今でも少し根に持っている
他にもT君が盗んだバイクで塾に行った帰りに、スピードの出し過ぎで滑ってコケて右太ももがアスファルトでガリガリに削られてもて、半泣きで病院に行くも訳分からん根性で、『自転車でコケました』って言い切った話はまた別の機会にしよか
エニウェイ
当時は自転車の改造が周りで流行ってて
ハンドルの形変えてみたり、ベルの音変えてみたり、めちゃ太い六角(←地元によっては立ち棒)つけてにけつしたり
赤くて丸い反射板を後輪側に付けられるだけ付けて20連反射板とかやってたな
そんなマイチャリで久保田に通ってたら、シャトランの前で『あの人かっこいい!』って声が他校の女子から聞こえてきて、ごっつい格好良く振り向いたろ思てんけど、そんな間もなく同じ学校の女子に『やめときやめとき』て言われた15の夜
エニウェイ
母校の菜園で育ててるさつまいもを早めに収穫して焼き芋したり
誰かがカレールーを段ボールごと拝借してきたので、町内晩飯カレー化計画と題して近所中に配り歩いたり
夜好きな子の家に電話して、お姉ちゃんが電話口に出てるのも気付かず軽めのエロい話してたり
稲中でムラムラできるぐらい多感な時期やったけど
欠かさず通えた『久保田学園』って奇跡やったなぁ
現場からは以上です!
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