「田舎に住む人はチャレンジを嫌う人が多い」。
そう書いたふたつ前の文章に体験上ウソは無いし、そもそも「チャレンジ=イイ事」とは全く思っ ておりません。みんな自分のペースで生きればよろしい。
むしろ、商売人として最も大切なのはリスクヘッジ。つまり、「危ない橋を渡らない」ことこそが 最重要で、何かヘンな熱を帯びてしまって下手なチャレンジするくらいなら、何もしない方がカネが貯まるやろ、くらいに思っています。チャレンジって、非常に危険な言葉よね~と。
しかし、よく目につくのです。 「地方でカフェを開く」「地元の食材を使って、カラダに良いメニューを」みたいなキャッチコピー を。
夢半ばで疲れ果ててしまった若者にとって、ヨダレと脳汁が出まくる文言です。
トンマな飲食業界人が自分自身でこんなマヌケな寝言を抜かしているならまだしも、田舎の自治 体や地方創生コンサルタント(こんな謎職業が実在する!)が率先して、まだ何もわからない未熟な 若者を甘い言葉で過疎地に呼び寄せるというのは、身近で見ていてイイ気がしません。
だって、残念ながらオシャレなカフェも自然食の店も、そんなものこの田舎生活で「ほとんど必要とされていない」のだから。
夜な夜なウチのカウンター席には「騙された・・・」と嘆くその呼び寄せられた若者たちが憂さ晴らしにやってきたものです。
喫茶店のマスターですからお客様の悩みは聞いてあげたい。 ただ、一応は彼らの同業の先輩でもあります。
騙されたと嘆くそんなブルーヒップキッズに言えることは、「いっちょ前に被害者ぶるな」。 少々キツい言い方になりますが、「やるべき事から逃げた挙げ句に、この島根に流れ着いただ け。その結果だろうがよ」。
本当に技術があるなら、銀座でも新地でもやれたはずです。若くてもスカウトされていく人材も たくさん見てきました。この町からでも真剣に取り組んでいた人は、やはりスカウトされていき ましたし。
それなのに、そんな人まで技術を磨くほどの根性もなく、「周りが分かってないだけ」「俺はすごい」「田舎なら今の自分でもやれるんちゃう?」と、するべき修行を放っぽって島根の山奥ま で逃げて来たくせに、それでもって「騙された」は無いだろう。
結局、開業したお店はすぐに無くなってしまうというのがパターンです。これは今、日本のいろんな田舎で起きている飲食業の悲劇です。
騙した方も「騙された!」と思ってる方もお互い様、しかもオメーらお似合いだ。と思わずにいられません。残念ながら、田舎は「チャレンジから逃げた人間」までも呼び寄せてしまいます。 しかし、田舎の商売というのも、そう甘いものでもないわけです。
そんな中、自分といえばせっせせっせと、ママとキッズたちへの「ファミレス」を作っていきました。
地元で採れた高級野菜もブランド牛も一切使いません。どこにでもあるメニューです。
そのかわり、「居場所」を作り続けました。
子どもたちがいくら騒いでも周りからイヤな目を向けられない。そんな時でもゆっくり食事がで
きる。お友達とおしゃべりができる。そんな居場所を。
マーケティングばかりやってきた分、その「田舎に逃げてきた人間」などと先輩ヅラして言わせてもらってる彼らよりも調理技術はありません。
だからひたすら勉強。飲食業なのに調理の技術がない分、職人さんよりもっともっと頑張って 「どうやったら喜んでもらえるか?」というマーケティングに集中しました。
こんな風に「どうやったらお客様が喜んでくれるだろうか」に真摯に向き合っていれば、神戸の 倒産もなかったろうにと苦笑いばかりです。
チャレンジとは何か?
それは「今やるべき事から目を背けない」こと。チャレンジの本質はこれに尽きます。
オシャレなカフェって本当に必要か?自然食のレストランって、なにか説教くさくないか? ここの町に暮らす人たちが本当に「今、必要としているもの」を真剣に考えれば、きっとイイお 店ができるはず。
またコツコツと資金を作り、更に新しいキッズルームを作りました。借金はせず、自分の出来る範囲内で。
真剣に考え抜いた末に出来た我々の新しいキッズルームは、店休日を除く200営業日、お陰さまで連日ご予約でいっぱい。
仕事の借りは仕事で返す。
神戸で倒産し、悔しさの中で東京に逃げるしか無かった。
そんなかつての自分への、「敵討ち」が出来たような気がしています。
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