第4回 わし of LIFE「少年時代の動けるデブ」

わし of LIFE

わしの幼少期は健康優良児って言うと聞こえはええんやけど、身長も体重も平均よりデカくて、幼稚園通ってる時は自分の体型を
『そんなもんやろ』
て思ってたんよ
寧ろデカい俺イケてるやん位の感覚で
でも小学校入学したら肥満児認定されて、毎日昼休みに保健室に学校中のデブが集って指導を受けるカテゴリーに入れられてん
で、学校からは
『更に運動が必要です』
て親に連絡が入って隣の長田区の体育館でやってる、近隣のデブを集めた運動倶楽部みたいなの紹介されて通うハメになってもーてん
どう見積もってもわしよりかなり病的なデブが集まってるところに通うのが苦痛で苦痛で…
そんな時に見つけたのが地元のサッカーチームで、病的デブ集団から抜け出したいが為だけに必死で親口説いて小2から入部してん
ちょうどJリーグ発足と重なった時期で、将来Jリーガーになる!と漠然とした夢を掲げて毎日取り憑かれたかの様にサッカーしてたわ
そして、終日付けたレガース(スネ守るやつ)を外す時の開放感から来る快感を覚え、その後モワッと臭ってくる何とも言い難い臭い香りを取り憑かれたかの様に匂ってた

まぁ結局痩せる事も無く、しっかりと動けるデブをキープしながら小学校卒業と同時に卒団を迎えるねんけど、卒団記念の寄書きに
『スマートな選手になろう』
て書いたK川コーチを未だに恨んでるねん笑
何故なら体型とプレースタイル、ダブルミーニングなのを小6ながらに感じたからである
ただ、当時のわしも悪かった
K川コーチは落ち武者のような禿げ方をしている人で、ヘディングする時に他の人とは明らかに違う音色を奏でてて
その音色からペチィングと命名したんやがその度にわしはニヤニヤしていたのだ
しかも飽きることは無かったから5年間ずっとK川コーチがペチィングする度ニヤニヤしてた
いや、実際口に出してたかもしらん
今思えばそれを相手も感じてたんやろうな

中学はクラブチームへ入団し、そこそこの選手としてそこそこの高校からオファーを貰うんやけど
高校は共学に行ってそこで出会う彼女とのやりたい事リストが脳内パンパンやったわしは、島根県の男子校で全寮制というまるで懲役3年みたいな響きの中でサッカーをやる気など全く無く、親に相談もせず、まるで駅前のティッシュ配りを断る感覚でお断りを入れわしのサッカーライフは幕を下ろすのである

ここで、何で高校でサッカー部入らへんねん!てなると思うねんけど、進学した高校が女子校から共学になった男子一期生やったからそもそも男子部活が皆無やって
で、男子一期生の為に部活作ります!って時に野球部にグラウンド取られて、フットサル部になってんよな
当時高校生のフットサル人口は滅茶苦茶少なくて同好会的なノリになってもーて直ぐ辞めてん
その頃はハーバーランドにフットサルコートが完成して、夜行くと現役Jリーガーなんかと一緒にプレイできる時があったから、イキッてそっちばっか行ってたなぁ

行動範囲が広くなって
バイトして小銭を稼いで
大人の味を知ったふりをして
憧ればかりが先行して
サッカー小僧は影を潜め
チャラチャラした高校生活が
幕開けるのである
次回コラム
「高校時代の活発なデブ①」

前回コラム
「馬」

編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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