第15回 島根、喫茶店のマスターが神戸に愛を込めて

ココロの兄貴

当たり前っちゃあ当たり前の話だが、いよいよもって「『悪口』というのは、絶対に言うもんじゃねぇなぁ・・・」と心底考えさせられている。

2022年のM-1グランプリ後、優勝したウエストランドの芸を観て「『ひとを傷つけないお笑い』への反動だ!」とか「これからは昔のような毒舌漫才が来る!」などと評されているのを感じる事が多いのだが、いやいやいやいや、それはムチャクチャに危険な発想。全くの逆だろう。

あの決勝戦の結果は、今後誰かを笑顔にさせるための会話技術の1つのボーダーラインとして、「日本で最も人を笑わせられるM-1で王者になれるほどの腕がなければ、『悪口』を使ってはならない」という事が証明されたに他ならない。

M-1王者になんて誰もなれない。だから「悪口なんて言うな」、それがハッキリしただけだ。

うっすい薄いその表面をなぞるようなマネをして、自分の価値を貶めたり、そして何より誰かを傷つけるような事にならないように、まずは俺自身が自戒を込めたい。

そもそも忘れがちな大前提だが、漫才というのはそこにいる全ての人が「まずは1回、そのウソを飲み込んで」いる。

コントのように最初から舞台やセットを持ってきて「今からウソをつきます」という設定を全面に出すのとは違い、漫才はあくまで瞬間的なものという形式。

フラッとマイクの前に出てきておいて、
「〜してみたいねん」「ほなやってみよか」。

そんなワケはない。

しかしそれでもわかっておいたその上で、ここで演者も客も「これは『立ち話』の延長線上である」というウソを見てみないふりをする。たくさん練習して来ていることは、誰もが一旦横においておく。

前提からして大ウソ。演者ならず、客側までも「ウソ」ありきなのが漫才だ。

今回のウエストランドも、歴代王者ももちろんそう。

その王者の1人であるサンドイッチマン富澤がウエストランドの漫才中に、「こっち映さないで〜」と頭を抱えて下を向いている笑っているのは、隠しておきたい自分の「ウソ」が世にバレてしまうと思ったからだろうか。

立川談志、ビートたけし、松本人志、爆笑問題、そして有吉弘行。

悪口どころか、この「毒舌」たちがお笑い界のトップに君臨し続けられたのは、その天才的な感覚ゆえに絶対にボーダーラインを越えないからだろう。

ウエストランド井口はその直系である爆笑問題からの影響を多大に受けているのは間違いないが、わかりやすいのはむしろ有吉弘行との比較だ。

有吉が再び世に出てきたのは、あの有名な「あだ名芸」。

なんとなく誰もが思っていた、しかし言葉に出来ないなんともイヤな心持ちを、小気味よくズバッと表現してくれる。そこに「よく言ってくれた!」という感情と、さらに言われた方すらも「ここまで笑ってもらえたらむしろ気持ちイイわ」と思わせるほどの説得力。

毒を吐いているようでいて、有吉も客も言われた方もみんな笑っているのだから、実はあの時すでに「誰も傷つけない笑い」というのは有吉が完成させていたとも言える。

しかしウエストランド井口と有吉の共通点はその毒の切れ味ではない。俺が思う彼らの共通点は、その懐の深さ。他人を攻撃しているようで、尚且ちゃんと「お前みたいな奴がなに言ってんだよ!」という世間からのツッコミを引き受けている。

有吉が毒を吐いてテレビに出始めた時は、まだ「一発屋芸人」というレッテルを貼られており、本人も十分にその役割を受け入れている。

井口にしたって、ここ数年はずっと「ひねくれてる、なんか感じの悪い小うるさい奴」というキャラを作りあげていた。

つまり本当の自分というわけではなく、しっかりと「ウソ」をつき続け、この漫才に説得力をつける用意をしてきたのだ。

つまり、2人ともしっかりと世間から「お前が言うな!」と言ってもらえるような準備をしておいてからこその、毒舌や悪口なのである。ちゃんと世の中からカウンターパンチを受け止める勇気と段取りができているこそ、それがようやく「芸」になる。

談志は落語協会を飛び出し、たけしはキャバレーで下働き、爆笑問題はテレビから干され、松本人志はまだ吉本興業の事務所が無い頃に東京にやってきた。

みんな、弱い者の立場から毒を吐いていたから共感してもらえたのだ。

もしも俺が「悪口は面白い」なんてマネしてしまうのはあまりにもダサい。なぜなら俺は有吉弘行でもなければM-1王者でもないのだから。俺みたいなもんが悪口を言うなんて、もう恐れ多くてとんでもないわ。

少し前、「論破」という言葉が流行っていたという。

俺がその言葉に何かモヤッとするのは、それが「強い立場の人間」からの物言いのように感じるからだろうか。「論破」とは、井口の悪口の対極にあるようにも思う。

「地下からの這い上がり」と言ったのは、その前の前の王者マヂカルラブリー野田であるが、まさしく自分を低く置いている。

俺も店のカウンターでお客様とおしゃべりする事も多い。

お客様に笑ってもらおうとするならば、常に奢らず高ぶらず謙虚な姿勢が重要であると、つくづくM-1グランプリを観る度に思うのである。

「ひとを傷付けないお笑いの時代」なんて一度も来てはいない。

一流のお笑い芸人たちは、むかしからずっと誰も傷つけず、むしろ自分の弱さや傷をさらけ出しながら「痛くなんかないわ!」とウソをつき続け、誰かを笑わせてきたのだ。

やはり、サイコーにカッコ悪くて、サイコーにカッコ良い職業である。

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編集長

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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