店を潰し、家内と娘を路頭に迷わせ、もうすっかり自信もやる気もない。呆然としたまま、ただただ日々が過ぎていくだけという体たらくでした。
しかし「生活」というものは待ってくれるわけはなく、娘にメシを食わせねばなりません。
情けない旦那はひとまず置いておき、家内は、当時はまだエレベーターもなかった花隈駅の地下のホームをベビーカーを担いで降り、実家のある宝塚まで向かいそこで娘を預かってもらい、毎日 ゴルフ場でのアルバイトをして我が家の暮らしを支えていてくれました。
その頃、飲食コンサルタントから「『ウチに来ないか?』と言ってくれている会社がありますよ」 とお声をかけてもらいました。
ただその会社というのは、自分が「いつか越えてやる」と目標にしていた飲食グループの企業。
倒産した直後の自分には、またヒラのペーペー従業員から這い上がっていく気力も根性もなく、 そのお話はお断りしていました。家内は頑張ってくれているというのに、全く情けない話です。
そんな風にグズグズとした生活を送っていたある日、家内が「木下大サーカス」のチケットをも らって帰ってきました。貧乏のただなか、娘に何の娯楽もおもちゃも与えてやれていなかったので、夫婦で大喜びしたのを覚えています。
今あの頃の話をしても、「え?あれビンボーだったの?全然気付かんかったわ~」とはぐらかせてくれますが、家にまるでお金を入れてやれてなかったのだから、家内には相当に苦しい生活をさせていたのは間違いありません。
木下大サーカスの会場は姫路でした。家族3人で神戸駅からJRに乗ってその道中もずっと楽しくて、娘になにかしてやれるのが本当に嬉しかった。
駅から姫路城方面に向かい、途中お土産屋さんなどを覗いたりもしました。もちろん、何も買えないけれど。
会場には大きなトラが描かれているテントが張ってあり、まわりにはやはり似たような家族連れがたくさんいます。どのご家庭も幸せそうで、なんだか肩身が狭く居心地は良くはありません。
でも、そんな事はどうでもイイ。娘にサーカスを観せてやれれば、それで十分なんですから。
しかし、もらったそのチケットが見当たらないのです。
どうやら家に置いてきてしまったようでした。これはもうどうしようもない。当時の我々にとって「おとな¥3000」は、相当な金額です。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」。
知り合ってからはもう7~8年は経つ家内でしたが、この時初めて泣いている姿を目にしました。
別に誰が悪いわけでもない、もし誰かに責任があるとするならばそれはこの俺。この状況を作り出してしまっているのは俺のせいであるわけで、責められるべきは家内では無いし、まして娘がサーカスを観れないなんて事があってはならない。
このまま元町に帰る事はしない。
チケットは全員分買うし、しっかり楽しんでから帰る。
そして、今後絶対に家族に辛い想いはさせないし、泣かせたりしない。
俺が頑張れば、大丈夫だ。
久しぶりにビリビリ~っと、頭からつま先まで根性の入った瞬間でした。
帰ってからすぐもう一度コンサルタントに連絡を取り、「どうぞよろしくお願いします」とお世話になる事に決めました。
そしてそれから3ヶ月後、東京で単身赴任生活が始まります。
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