この間、弊マガジンでコラムを書いてくれてる松本君がボーカルを務めるバンド「ぐうたら狂」のライブを見に行ってきた。
高校の後輩である彼とは知り合ってから20年以上になるが、ライブを見に行ったのは初めてだった。
「とても気さくで話が面白い後輩」という一面しか知らなかったけど、ライブの時の松本君は完全に別人だった。
始まる直前に狭いハコの中でばったり遭遇したので声を掛けると、いつものにやけた笑顔で「来てくれてありがとうございます!」とソツなく常識的な挨拶を返しながら通りすぎて行った彼は、私から視線が外れた瞬間「ゾーン入ってる人」の顔つきになっていた。
もちろんそれは真顔やねんけど、「無」の反対、としか言いようがない感じ。
でもロジックで思考してる時とも違ってて「煩悩」や「雑念」なんかも全部ごちゃ混ぜにして脳内でぐわんぐわんシェイクされてるような、それでいてある種の悟りの境地に達しているような、本当に不思議な顔だった。
ライブ中、完全な別人となった松本君は「ゾーン」の只中にいた。
生きてきた上での、そしてこれから生きていく上での「鬱屈」も「退屈」も「はっちゃけ」も、この人は全てをライブで消化して昇華させてるんやと思った。
まさに退屈と刺激。
地下のライブハウスに生息する松本君と、爽やかな朝のスタジアムで躍動する私は、選んだ居場所は対極なようでいて、実は本質は同じなのかも、とも思った。
これを決定付けたのは、ライブ後に松本君がお礼の電話をくれたときのセリフ。
「僕、自分がホンマに自分やなーと思うのライブの時だけっすからねw」
いつものようにヘラヘラしながらそう言う彼の言葉に、私は「やっぱり!」と確信した。
私にとっての高校野球もまさにそう。
その時だけは「自分が自分である感じ」がするのだ。
これはそれぞれの場で、同じ感覚持ってる人多いんちゃうかなと思う。
そして松本君と私のもう1つの類似項は、普段はヘラヘラ人当たりが良いこと。
別に無理して明るくしてる、とかではなくて、それもフツーに自分。
人は誰しも沢山の顔を持っている。
私は人間のそんな美味なる多面性が好きだし愛しい。
それをなるべく見逃さないように人と接したいけど、あんまり色々気付かんといてほしいシャイな人のことまで覗き込まないようには注意している。
松本君のコラムも彼のわずかな側面でしかない。それはうちの他のコラムニストも、私も同じだ。
だからこそ「見せたい部分をしっかり魅せられるようにモノを書けるようになりたい」と私は日々考えている。
松本君にこう言うたらきっと「ヤバい、めちゃくちゃストイックっすねw」と、いつものにやけ顔で軽く言い放つに違いない。
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