編集長コラム 第19回「思春期を遠く離れて風月へ」

編集長

お盆に、弊マガジンでコラムを書いてくれている鬼絞り先生とランチに行った。

インタビューは夏休みをもらっている分、今月はコラム勢に会いに行って、その際のことを書く月間としている為、鬼絞り先生に「急ぎで〜!」と頼み込んでまで、半ばムリヤリ時間を作ってもらった。

鬼絞り先生がお住まいの西宮まで出向き、グルメで鳴らしている鬼絞り先生に「美味しいお店に案内してよ」と頼むも「この辺ほんま無いねんよな〜」と言いながら、安定の風月に連れて行かれた。彼の中での私の存在のどーでもよさが光るエピソードだ。

鬼絞り先生とは中学の同級生なので、地元トークに花を咲かせたが、実は中学時代はそんなに仲良くなかった。

うちの学年では珍しくヤンキーの部類で、自転車の改造に余念が無かった鬼絞り先生と、当時から個性の塊で、毎週ハーバーランドのヴィレヴァンに通いつめてサブカル命だった私。違う角度で尖り散らかしていた我々が、思春期に解りあえるはずが無い。

ただ、私と鬼絞り先生は、当時から人を笑わせることに努力を惜しまない、という点では一致していた。

19歳ぐらいのときに1度だけ、真剣にお笑いの道を目指していた鬼絞り先生と共に、なんばに吉本の公開オーディション的なものを受けに行ったことがある。

当時、鬼絞り先生は地元の同級生とコンビを組んでいて、私はピン。
オーディション直前に、鬼絞りコンビに私の渾身のネタを見てもらったところだだ滑りした上に痛烈なダメ出しをくらい、結局オーディションは受けずに、そのまま1人泣きながら帰った笑。

私はそれ以来、ほのかな芸人への憧れは一切絶って、野球一本に絞ったのであった。
このように、どこかのタイミングでお笑いの道を諦めた経験のある関西人は、掃いて捨てるほどいるはずだ。

鬼絞り先生はその後NSCに入り、30歳まで芸人として活動していた立派な元芸人だ。そんな彼を、心から尊敬している。

お笑いでも野球でも、プロで長年活躍できるのはほんのひと握り。
でも、諦めさえしなければ、どんな形であれ続けることは誰でも可能だ。しかし、この「続ける」ということに耐えきれずに脱落してしまう人がほとんどだろう。
今、まさにこの「続ける」ということを実践し始めたばかりの身として、自戒を込めて書いている。

「まさかこの歳になって、鬼絞り先生とこんなに仲良くなるなんて思わんかったわ」
「俺もやわ!まさか昼から風月行く仲になるとは思わんかったわ!」
と言い合いながら、一緒に食べた風月の塩焼きそばは、すごく美味しかった。

そんな元芸人の鬼絞り先生は、現在はグルメ好きなサラリーマンで、週末は息子の少年野球のコーチに精を出す馬主だ。

情報が錯綜しすぎて迷子になりそうやけど、全て事実。さらに言うと、無類の愛妻家でもある。

あんまり好感度を上げると、営業妨害やとどやされそうなので、この辺でやめておく。
風月では奢ってくれたなんて言うと、さらに好感度が上がりそうなので、聞かなかったことにしてもらいたい。

中学の時、とんでもない改造自転車に乗っていた鬼絞り先生は、今もなんかやたらタイヤがぶっとい張り切った自転車に乗っている。
三つ子の魂百まで。

次回コラム
「関西の2人のお天気おじさん」

前回コラム
「ぐうたら狂のライブで気付いたこと」

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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