編集長コラム第31回「沖縄への浪漫飛行」

編集長

毎回、取材の度に、私の中にはその都度テーマソングがあるな、と前から感じていた。

相手の方の話の内容や、自分の感覚から、いつも取材終了後に「今回の曲はこれやな」と頭に浮かんでくるのだ。

それでいくと、今回の沖縄取材旅行は完全に米米CLUBの「浪漫飛行」だ。

旅行中は毎日取材漬けだったので、そんなことを考えるヒマも無かったが、帰宅してからふと「今回はほんまにトランクひとつだけの浪漫飛行やったなぁ」と思った瞬間、ハッとしてyoutubeで「浪漫飛行」を聴いてみた。

想像以上に歌詞がドンピシャすぎて、もう泣けて泣けて仕方なかった。

『逢いたいと思うことが何よりも大切だよ』

冒頭の歌詞で、私の涙腺はもろくも崩壊した。

「興南の我喜屋監督に会いたい!」という昔からの念願を果たしたいが為に決まった沖縄行きだったので、それが実現することの喜びに夢中で、何か大切なことを忘れているような気がしていた。

そこで、神戸で高校野球のコーチをしている友人に「我喜屋さんの取材で沖縄行くことになってんけど、他に行っとくべきとこあったら教えて〜」とLINEを送ると、秒で「エナジック高校も行けよ!」と返ってきた。

そうだった!私は沖縄に野球取材に行くときは、強豪校・興南の我喜屋さんと、新興勢力である通信制高校の両方の取材をしたいと前々から彼に語っていたのだ。

私より遥かにしっかり者の友人は、私よりも私のことを覚えているw

「せやった!行く行く!ありがとう!」と返事をした15分後に「興南の次の日にエナジック高校も取材に行けることになったわ!」と追いLINEをした私も、ある意味しっかりしているような気もする。

「早w」と笑っていた友人だったが、その20分後に社会人エナジックのマネージャーの連絡先を送ってきて「言うといたからLINEしてみ」「ちょうどお前が行くとき、阪神とオープン戦する言うてたぞ」とのたまった。

彼と連絡を取ると、毎回しっかり合戦で後塵を拝してしまう。男3兄弟の長男には敵わないと、私も弟が2人いるというのに、常々ほぞを噛んでいる。(同じ理論で、絶対ダルビッシュにも勝てない自信があるw)

この友人は、その昔、社会人エナジックで野球をしていたのだ。

ありがたく、そして恭しく、エナジックのマネージャーにLINEで丁重にご挨拶をした。

すると、なんと、ご厚意でエナジック高校の取材同行+後半2日間の送迎(最後は空港まで!)を申し出てくださり、車の運転ができないのに沖縄取材を敢行しようとしていた私は、とてもとても助かった。

「エナジック高校の取材の次の日に、社会人の方のエナジックが阪神の2軍とオープン戦するんで、良かったらそっちも取材に来てください」と言ってくれて、それはすごくうれしく思いつつも、私は高校野球専門家なので「社会人野球の取材なんて私にできるのかな?」とめちゃくちゃ不安だった。

そして興南・我喜屋さんの取材準備のために、我喜屋さんの本を読んでいると、我喜屋さんも興南に来る前は30年以上も社会人野球をしていたと知り、なんか今回は社会人野球というものに向き合わなあかんような気がしてきた。

「昔からの地元の強豪校と、新興勢力である通信制高校の対比」がテーマだったはずなのに、いつの間にか今回、私が最も向き合うことになったのは「社会人野球とは」というテーマに変わっていた。

神戸の友人と、エナジックのマネージャー、さらには大学時代の先輩に当たる社会人野球経験者3名に、出発前から「社会人野球とは何なのかを教えてください!同じようにお金をもらって野球をするプロ野球との違いも教えてください!」と懇願し、それぞれが色々話してくれた。

『苦しさの裏側にあるものに目を向けて』の部分の歌詞は、この辺りとリンクした。
生活に直結する社会人野球の厳しさが、みんなの話からうっすら見えてきたからだ。

でも自分の中で「これ!」という結論は出ないまま、当日を迎えた。

社会人野球の「社」の字も知らないような私が、我喜屋さんや、エナジックの石嶺監督や定岡コーチに、的確な質問ができるのか、不安なままの出発となった。

こんなにも野球を知らない私が、沖縄のレジェンドたちに取材をさせてもらうなんて、ものすごく失礼なんじゃないかと不安でたまらなかったけど、もうここまで来たら、やけっぱちのドンチャラミーだ!

『夢を見てよ どんな時でも 全てはそこから始まるはずさ』という気持ちの私を乗せて、飛行機は神戸空港を離陸した。

沖縄に着いてからも、我喜屋さんの取材の直前まで、大学時代の先輩に禁断の長文LINEを送りまくり、不安な胸の内を聞いてもらった。
「私、今まで野球のこと何も知らずにイキってたこと、猛反省してます・・・」と、謎なようで的確な謝罪までした。

先輩は嫌な顔ひとつせず、仕事で忙しいのにじっくり読んでくれて、時間ができる度に電話をくれたにも関わらず、間抜けな私は、ことごとくニアミスしまくった。笑

結局、何もわからず無知なまま、我喜屋さんの取材に臨んだのだが、我喜屋さんがめちゃくちゃ良い人だったおかげで、なんとか会話になって本当にホ〜っとし、すぐに神戸の友人と大学の先輩にお礼のLINEを送った。

翌日は、エナジック高校の取材同行+行き帰りの送迎をしてくれたマネージャーと、車内で色々話しをしたけど、やっぱり「社会人野球」の実体はよく分からないまま、社会人エナジックの取材の日が来た。

早朝に、マネージャーと定岡コーチが宿泊先まで迎えに来てくださって、球場までの1時間ほど、社会人野球歴40年近い定岡コーチとお話しさせてもらうことができた。

もう、直接ご本人に聞いてみようと思い「社会人野球の本質って一体何なんでしょう?プロ野球とはどう違うんですか?」と、小学生みたいな質問をしたら、定岡さんは、めちゃくちゃ丁寧に誠実に色々教えてくださり、おかげさまで少しだけ理解が進んだ気がした。

詳細は来月のインタビューで書かせてもらうが、定岡さんのお話と我喜屋さんのお話にかなりカブる所があって「あぁ、これはきっと本当に重要なポイントなんだな」と思った。

ちなみに定岡さんは沖縄出身で興南高校出身だけど、鹿実→巨人のあの定岡選手の従兄弟であり、鹿実の今の監督さんとは社会人時代に同じチームで、今の鹿実の教えの根っこになっているほどの大きな出来事を共に経験しておられる、鹿実と縁の深い方だった。

その後、元プロ野球選手で現・エナジック監督の石嶺和彦さんにも球場で少しお話を聞かせてもらい「プロ野球との違い」は明確になってきた。

対戦相手は阪神の2軍ということで、エナジックのマネージャーが阪神のファーム担当者と挨拶を交わしているときに、ちゃっかり参加し「神戸のWEBマガジンなんです」と言うと、ファーム担当の方が、阪神の広報の人を呼んできてくださった。

阪神の人たちも皆さん親切で、プロ野球の選手やコーチに取材をする際の手順も伺うことができ、なんと私にまでプレス章をつけさせてくださり、マスコミに配っているという2023沖縄キャンプ記念のキャップまで頂いた。

まさかの展開に、胸がいっぱいになった。

そして試合後、エナジックのマネージャーが空港まで送ってくれる途中で、お礼がてら、一緒に沖縄そばを食べに行った。

私もマネージャーも、大人同士の距離感を保ちながらの2日間だったけど、やっぱり一緒にゴハンを食べると打ち解け方が違いますね。

宜野湾で沖縄そばを食べてすっかり打ち解け、そこから空港までのわずかな時間は、濃厚な話ができて、とても楽しかったし、社会人野球というものの自分なりの答も、ひとまず出たような気がした。

私は1人で取材&執筆をしているので、基本的に単独行動なんだけど、なぜかいつも孤独じゃないのは、周りの友人知人の温かさのおかげだな〜と改めて実感した。

そしてこの4日間の沖縄取材旅行の合間に、沖縄に住んでいた頃の友人ともお茶ができたりして「今回、会いたいって言ってくれてすごくうれしかった!」と言ってもらえて、こちらこそうれしかった。

「我喜屋さんに会いたい!」の一心で始まった沖縄取材旅行が、周りの人たちの優しさで、こんなにも充実した内容になったことへの感激は、まさかの帰りの飛行機の搭乗口で並んでいる時に急激に込み上げてきた。

その時は理性でなんとか堪えたものの、最終便の機内で、明日からの日常に備えて少しでも眠っておこうと目を閉じた瞬間、今回の旅でお世話になった人たちの顔が次々浮かんで来て、誰もが親切にしてくれたことがありがたくてありがたくて、もう涙が止められなかった。

エナジック高校の監督さんが、取材後に夕飯を食べに連れて行ってくれた学校近くの民家のご夫婦の優しい笑顔も浮かんできた。

泣き止みたくても勝手に次から次へと流れてくるので、仕方がないから被っていたキャップ(阪神のではないw)を目深にして俯き、つばの部分を手で押さえながら嗚咽した。

周りの乗客に心配されないように、できるだけ泣いてることがバレないようにしたつもりだけど、肩は震えるし、「うっ」とか「くっ」とか声も出てしまうので、ものすごく恥ずかしかった。

まるで夏の大会で負けたあとの球児みたいだと思いつつ「あー、あれは、みんな泣きたくて泣いてるんじゃないんやなぁ」と、身を持って理解することができた。

今の私みたいに、これまで応援してくれた人や支えてくれた人たちの顔が浮かぶだけで、勝手に涙が出てくるんやなぁって。

でもそれは、一生懸命やってきた証だから、私はずっと夢中で準備して、夢中で取材してたから気付かなかったけど「めっちゃ一生懸命やったんやなぁ」と、ようやく自分を労うこともできた。

機内で泣いてる私に、私だけは心の中で温かい拍手を送っていたけど、周りの乗客からすると「遠距離恋愛の帰り」か「身内の葬儀に向かう人」にしか見えんかったことでしょう。

『君と出逢ってからいくつもの夜を語り明かした はちきれるほどmy dream』というほど、社会人野球というものを色んな人と語り合った今回の沖縄旅行前後だった。

社会人野球は、能力はもちろんだけど、高校野球以上に、はちきれるほどの情熱が無いとやっていけない厳しい世界だ。

友人3名以外の、我喜屋さん、石嶺さん、定岡さんという面々は沖縄県のベストナインに選ばれている御三方。

そんな大御所と気安くお話しできたことも感激だったし、皆さん現役でいらっしゃる間にお話しできたこともうれしくてたまらなかった。

コロナ禍を経ても、踏ん張ってお店を続けている沖縄の友人たちからも、すごく力をもらった。
『そこから逃げ出すことは 誰にでも出来ることさ 諦めという名の傘じゃ 雨はしのげない 何もかもが知らないうちに 形を変えてしまうその前に』

自分の人生を投げ出さない人は、どの業界の人も、みんなカッコイイ!という突然の人間讃歌が私の中で巻き起こった機内でのひと時だった。

『その胸の中までも くもらぬように right away 追いかけるのさmy friend』

私には、高校、大学時代から憧れてやまない野球界の友人たちがいる。尊敬する指導者の方々がいる。それぞれの人生を力強く生きている遥か遠く沖縄の友もいれば、地元の友人たちもいる。

そして、ここまで読んでくださったそこのあなたがいてくれるおかげで、こんなにもヘタっぴいな文章しか書けないのに、1年もWEBマガジンを続けることができました。

『忘れないで あのときめき 1人じゃない もう1度 空へ』ってことで、ときめきは全く忘れていないので、これからも続けさせていただききますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

尚、トランクひとつだけの浪漫飛行というとオシャレな響きですが、機内持ち込みサイズのトランクとリュックだけじゃ、マジでほとんどお土産を入れるスペースが無くて、神戸に帰ってきてから、何回も三宮のわしたショップに走りました。

それはもう、沖縄のお土産じゃなく、単なる三宮での買い物w

次回コラム
「神戸は都会か田舎(否か)?」

前回コラム
「リアル『阪急電車』」

編集長

編集長

神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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