東京都北区、王子。
東京の中でも、千葉さいたま寄りのところで1人ぼっちの新生活が始まりました。
「ペーペーのイチ従業員からスタート」と言いながら、会社には住まいまで用意していただき、ついさっきまで神戸でド貧困に喘いでいた自分からすれば、こんなにありがたいお話はありません。
家内と娘は宝塚の実家でしばらく面倒をみてもらい、その間に俺が東京でゼニを稼ぐ。早く再び一緒に暮らせるようになるためにも、歯を食いしばって頑張っていこうと強く決心をしました。
他の人よりは1時間は早く出社し、飲食業よりも会計や経理マーケティングについての勉強を始めました。今はお世話になってはいるが、サラリーマンのまま生きていくつもりはない。絶対にもう一度商売をやりなおしたい、そしてその時にはもう二度と倒産なんかしたくない。勉強全く苦にはなりませんでした。
仕事仲間にも恵まれ、あっという間に店長→エリアマネージャー→マネージャーと、ポンポンとポストを登って行くにつれ、関東中をグルグルと移動する時間も増え、電車のなかにいる時間が増えたのも勉強時間の確保になりました。
仕事も順調で、1年少々で家族を東京に呼び寄せる事も出来ました。
東京は思ったよりも居心地のイイ場所でした。
ある日、島根にいるオヤジから電話がかかりました。「もう、仕事を辞めようと思う」と。
聞けば、出社時に行うアルコールチェックにひっかかり1ヶ月の謹慎処分となったそう。
当時オヤジは53歳。そろそろ新陳代謝も低下しており、会社の規定通りの飲酒だったとしても、翌朝になっても完全にアルコールが抜けきっていなかったんだと思います。
会社からはけっこう叱られたようで、やる気も何も失ってしまい、だからもう早期退職しようと思っているんだけど、どう思う?という電話でした。
対象的に現在仕事が絶好調だった自分としては、
「辞めるのはイイとしても、謹慎処分が解けて、それからもう一回ちゃんと働いてからの方がイイ。そんな逃げるようなマネしないでくれよ」と伝え、オヤジ本人もわかったもう1度頑張るよと言って電話を切りました。
この時の会話の内容は、その後今でもずっと後悔しています。
どうしてあの時オヤジを辞めさせてやらなかったのか。
もうずいぶん頑張っていたのに、腰だってながらくひどく痛がっていたのに。
それから再びオヤジは会社に戻り、また休みもなく働き始めました。
喉が痛いと言っていたらしいのですが、病院に行く事はありませんでした。
その1年後、ガンを宣告されます。
食道ガンで「余命は1年」だと。
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